JANUARY

2002.01.06

~ポップコーン~

【Radical Lady】
あけましておめでとうございます。日曜日は、最後の生ヒコを聞いて過ごしました。
12月30日の去年のラストウィークのヒコヒコタイム、年間のチャート発表をしましたけど、そのことですね。
今年もいろいろと困難にぶち当たりそうですが、できる限り頑張っていきたいと思っています。年始めは、とりあえずパソコンのバックアップを…。
もう、今日あたりはロンドンの方に帰ってしまったんでありましょうか?。

【田中】
2002年、年頭のPOPSヒコヒコタイム。もう6日になると、ちょっと陳腐なんですけど、一応言っておかないと…あけましておめでとうございます。

今週の木曜日、1月3日に、ヒコヒコの20周年のお別れパーティーを松山市内で行いました。たくさん集まってくれて、86人かな?関係者を入れたら、もちろん90人越えたんですけど、その方達からの感想なども今日すでに届いてますので、ゆっくりとご紹介していきたいと思います。

~追憶のミュージック/Cher (プッシュ)~
年明けてからは、1時からのチャート発表はやめますけれども、年末のチャートでは上昇中だった曲。

20周年のサヨナラパーティーのメールですね。

【古狸一郎】
パーティーの感動が冷めないうちにメールにしておきます。本日は寒い中、大変お疲れ様でした。みんな少しずつ年をとっていましたが、懐かしい人に会うことができて本当に嬉しかったです。初めは、現在リスナーで親交がある方もいないので、少し参加することに戸惑いを感じていました。ところで、思い起せば、高校・大学受験。そして、就職試験という人生の節目節目にヒコヒコがあって、勇気付けてくれたり、誇りを持って生きていくことを教えて教えていただいたように思います。
そうだね、古狸一郎は広島かどっかで失恋して帰ってきたこともあったよなぁ…(笑)もう、80何人の顔見てると、「10年位前に確か彼はこんな事を書いていた」って事をいっぱい頭に浮かんでくるんですよ。懐かしかったですわ。
本当に最後の田中さんの挨拶を聞くまで、番組が終わることを現実に受け止める事のできない自分でしたが、みなさんはどうだったでしょうか?。これまでの私の20年間は、自己採点で70点でしたが、これからの20年は悔いの残らないように、ひとつの事を田中さんのようにやり遂げたいと思います。最後になりましたが、お体にお気をつけてください。

【低気圧ガール】
幹事さん、お疲れ様。パーティーに参加させて頂いてありがとうございました。古株リスナーの皆様にはいろいろご心配していただき、どうもすいませんでした。無事手術は成功し、今はボチボチ普通の生活ができるようになっています。病院に勤務していた自分が言うのもなんですけど、医者はいいことは言わないもんだとつくづく感じました、この三月。手術前には、「あぶない…」だの「手術にぜったい成功するということはない」など、散々ビビらされ、「もうダメかも…」なんて思うことも度々でしたが、発見が早かったこともあり、すぐ手術できたので、何とか助かりました。。
まあ、ヤブ医者の…江戸時代の落語で「ヤブ医者」ってのがあって、ヤブ医者が名医になるために勉強するんですね。で、最初患者が来たらこう言えと言う「手遅れです」(笑)それで治ったら、名医になるというのが落語の小話であるんですけど。まあ、良かった。
しばらくは体調を戻しつつ病院通い。2次会に参加したリスナーの皆さんも、人生の転機にある人がやっぱりいて、「あぁ、自分だけじゃないんだ…」と、フッと肩の力が抜けて、少し楽になりました。
僕も2次会に行こうと思ったんですけど、1次会が終わってうちに荷物も持って帰って、酔っ払ったんでカーペットの上にごろっと横になったら、起きたら9時だったんで(笑)ごめんね。
病気が分かってからは、急に自分の人生を考えるようになりました。今は、後悔しない人生にしようと思ってます。迷う事も、戸惑う事も、いっぱいあると思いますが、やっぱり自分のために生きていないと、あとで振り返ったとき、また後悔してしまいそうで、今は助走期間なのかなぁ。映画は、姉と一緒に最終日にやっと見てきました、エンヤのやつ。田中さんは、心に残る出会いや別れはありますか?。それではまた。
あの、改めて深夜放送をやっててもそうなんですけど、偶然がなんぼか重なっていって人生が出来上がってるじゃないですか。絶対全部偶然じゃないですか。AさんとBさんが逢うのも、それから皆さんがこの深夜放送をチューニングしたのも、何かの偶然じゃないですか。友達が聞いてて、友達が聞いてなかったら聞いてなかったんだし、ある日夜ラジオをつけたらやってたから聞いたんだし…これは偶然じゃないですか。だから、僕は出会いも別れもですね、いろんな要素、その日もしかして雨が降ってたら別れなかったかもしれないけど、ピーカンのお天気で「ああ、別れてもいい天気だし、やっていけそうだから別れちゃおう」で別れる事も無い事は無いじゃないですか、迷ってるときって。何が、何によって風向きが変わるかわかんない。だから、僕は偶然が重なった事が人生だと思ってるんですけど、でも少し長いスパンで見ると、偶然が重なってできた人生は、でもやっぱり必然だったんじゃないかなぁ…という気がしてくるんですね。だからこそ、神がいるんじゃないかなぁというふうに考える事もできるんでしょうが、偶然が2つか3つ重なったら、それは必然なんだなぁと最近は思うようにしています。

リクエスト1曲目は宮城県から武田Keatonの年賀状からのリクエスト。彼も来てくれてました。

~You right the way/Mara Getz (武田Keaton)~

年賀状をたくさん頂いてるんですけど、最近家族の写真とかが入っている年賀状って多いじゃないですか。であの、家族写真を乗っける年賀状はダサイとか言う人もいるんですけど、番組的にはね、大変嬉しい。「へぇ~彼はこういう人と結婚をしたんだ…」とかですね、「こういう子供がいるんだ…」ってのが分かってね。
【リバプールの海】
彼も1月3日は硫黄島から、彼は硫黄島の自衛隊の通信員なんですが、来てくれてて、彼の年賀状も奥さんとお嬢ちゃんの顔が載ってるんですけど。
単身赴任…家族の大切さを知る1年でした。
と、書いてますが、彼はこういう奥さんとこういう子供で実生活してるんだ…と。この生活のどっかにポップスやロックがあるんだとか、あるいはこの放送があったのかなんて思うとですね、しみじみしてしまうんでいいんですよ。

【真夏のランナー&真冬のスイマー】
同じく家族写真…これ、ラジオで表現が難しいんだけど、彼はお巡りさんだけど、お嬢ちゃんとバイクに跨っている3人家族の写真で、「ふぅ~ん、そうかぁ…」みたいな(笑)自分だけ「そうかぁ」なんて言ってても放送じゃ申し訳ないですけど。
今年もよろしくお願いします。放送開始のときは小学生でしたが、現在は夫婦とも31歳。20年間、お疲れ様でした。
そうか、そういう計算になるんだね。

【21世紀の男】
あるいはさかもとりょうMA君…彼は名前多いですけど。
パーティーは、やっぱり行って良かったです。申し込みする時に自分なりに悩んで、
結構悩んだ方が多かったみたいですねぇ。あの、元々社交的な人がリスナーに少ないタイプな番組なもんですから、それもあったんだろうし、自分が聞いてる時期の問題もあって、10年前がハードだったけど最近は全然という方は「今行ってもなぁ…」と考えたりもしたんでしょう。で、悩んで来なかった方、来てくれた方に別れたんで、その悩みの気持ちはよく分かります。
「さてさて、僕みたいなええおっさんは浮いちゃうなぁ…行きたいけどパスしようかな。いや、後にも先にもこれで最後なら、恥じかいてもう1回なら行こうか」ということで決めました。「自己紹介があったらなんて言おう…」と別に悩まなくてもよかったです。僕のテーブルには、大阪から来られた夫婦の方。ご主人はお正月にお餅を食べすぎて、ここずっと太ってしまった感じだとか。「ちょうど10周年パーティーのとき、確かこの人もいた」とチェックできたけど、一歩踏み込んだ事ができず話しできなかっらリスナーの方が何人かいました。3時間は早すぎます。
3時間のパーティーってのは結構ねぇ、結婚披露宴かなんかだと「長いなぁ、3時間もかかったよ」とか言うんだけど、3日のパーティーはね、あっという間だったですわ、僕は。
しかし、ポスト君は本名で来てたんですね。彼とは面識はないんですが、10年前のパジャマルックのフレーズは印象が強かったです。田中さんの意図するヒコヒコからは、僕にでさえ熱いものが伝わってきました。このパーティーは、数ある集まりの中で、これほど異質で、不可思議で、しかしそれぞれが初対面でも違和感がない、これがすごいとこでした。

【もみじの手】
POPSヒコヒコタイムへ、最後の年賀状になります。皆さんは、今年はどんな年にしたいですか?去年は、はっきり言って世界中で良くないことばっかりだったから、平和な地球を少しでも取り戻して欲しいと思うんですが…。
ということで、ジョン・レノンの「イマジン」がきてますね。。
受験の方は、桜が咲くように祈ってます。もうあと少しだ、がんばれ!ヒコヒコパーティー行きたかった。どうしても抜けられない事があったので悔しい。残り三月のヒコヒコタイム、皆さん精一杯楽しみましょうね。

今日は、レイ・チャールズでどうぞ。

~Imagine/Ray Charles (もみじの手)~
今晩はちょっとねぇ、ジョン・レノンのムードじゃなかったんで、レイ・チャールズでいってしまいましたが、すみません。

【栄子】
イーストきん。さま、らっぱさん幹事大変お疲れ様でした。
3日のパーティーはね、この2人の幹事は大変だったと思うわ。お土産のCD制作からね、僕にいただいた3枚組みのCDとかね作るのとかね、席を決めるだの、ああだこうだ大変だったと思います。
とても楽しい良いパーティーでした。和彦さんにお花を渡す役は突然言われたのでビックリして緊張してしまいましたが…。沢山の人に会えて話が出来て本当によかったです。今日から仕事。頑張って働かなくちゃ!


【Maya】
パーティーに参加された皆様、ありがとうございました。このような場には初めての参加でしたが、田中さん、林さん、リスナーの皆様にお目にかかれて光栄です。幹事のらっぱさん、イーストきんさん、本当にお疲れさまでした。ヒコヒコタイムに出逢うことができて、心から幸せに思います。田中さんのスピーチ、心にしみました。本当にありがとうございます。
僕はホントこの日はね、珍しく車で行かなかったのは、ちゃんと飲もうと思ってたんです。で、1時間ぐらいして完全に酔っ払ってました(笑)。だからね、普段はもっとスピーチは上手なんですけど、途中何言ってるかわかんなくなってきたので、「まぁいいや。たまにはこんな事もあてもいいだろう」というふうに、なんか「しょうがない」と思ってはいるんですけど、何を喋ったのかよく覚えていないという。

【ばっちのらっぱ】
和彦さん、イーストきん君、パーティーに参加されたみなさん、大変お疲れ様でした。みなさん、無事帰宅されましたでしょうか?なんだか、怒涛の1日で、現実感が現時点で皆無です。今考えてみると、僕のテンションも妙だったんじゃないかと…失礼な発言や行いがありましたら、お許しいただきたく思います。僕も、さすがに林さんのライヴと、和彦さんのスピーチにはウルウルきてしまいましたが、原稿持って音響機材のところに逃げてました。(笑)
林さんは本当にいいライヴでねぇ、いや参ったな、泣かされそうになっちゃったな。あのぉ、林さんの歌で一番泣きそうになったのはね、「スタンド・バイ・ミー」を途中で歌ってくれたんです。この曲は、林さんと初めて会ったとき、ですから昭和57年の4月にこの番組がスタートしたんですけど、だから彼に会ったのが昭和56年の11月か12月か57年の1月か2月か忘れましたが、その頃ですね。で、ステージでよく歌ってたのは知ってたんです。その日もロープーウェイ街に「ナインス」というライヴハウスが行き着けあって、奥のほうで飲んでたら林さんが歌ってて、今も覚えてるんです、ステージの真ん中じゃなくて右の隅の方に彼は立って「スタンド・バイ・ミー」を歌っててね…すごく良くてね。で、その時にですね、「この人とラジオをやろう」と。4月からヒコヒコタイムを始めようという事が決まってて、タイトルはまだ決まってなくて、「深夜放送どう?月~金毎晩」で、週1回この人とやろうと思って、その「スタンド・バイ・ミー」を聞き終わったあとに話しに行ったのか、数日後行ったのか忘れましたが、話した現場は「ナインス」というライヴハウスだった事は覚えてるんです。そこで声掛けたわけでしょ「こんばんは、はじめまして」みたいなことで。で、女の子に声掛けるほうが、まだ気が楽。なんか、女の子をデートに誘うとか、その方がまだ気が楽だった事を覚えてますわ。なんか、男の人に声掛けて、しかも「一緒にラジオしませんか?」っていうのはね、「何から切り出したらいいかなぁ?」ということがあって、かなり僕は躊躇して戸惑ってですね、よくあるでしょ?男と女の関係で、初めてキスをしようと思ってからするまでに何度か波頭を乗り越えて、カッ!といく…あれに似た感じのね、高まりを覚えてましたわ。そのシーンの事を思い出してね、「あれはもう20年前以上になるんだ」とふと思ってですね、「20年か…あれから20年、何してたんだろう?」と思うと、ジーンとしましたわ。で、助かったのはね、そのあと林さんは、きっと僕を泣かそうと思って「ウィズアウト・ユー」を歌われたんです。で、助かったって言い方は変なんですけど、「ウィズアウト・ユー」はね、僕はもちろん泣ける曲だったんです。自分の初めての失恋の時のテーマソングなわけですから。で、1月3日のパーティーまでは「ウィズアウト・ユー」は、どんなバージョンで、どんな状況で聞いてもね、必ず涙ぐめたんです。ところが、1月3日は「ウィズアウト・ユー」を聞いてる耳が冷めてるんですよ。というのは、僕は19の頃に失恋をして「もうダメになった」と思って「ウィズアウト・ユー」を聞いて、歌いながらと言うか口ずさみながら早稲田のグランド坂下というところがあるんですけど、そこを歩いていたあのシーンを思い出す事で涙ぐんでいたのにですよ、あれから何年かしてこうやって「このリスナーのみんなとやってきたのに、もうお別れになるんだ」と、そっちの方が自分の希少な素晴らしい失恋のあれよりも重かったんですよ。だから、それと違う種類の思い出がきてもね、「あっ」と思って。もしかすると僕は今後、そのあと聞いてませんから分かりませんが、もうニールソンの「ウィズアウト・ユー」で泣けなくなるんじゃないかなぁと。今後しばらく「スタンド・バイ・ミー」になるんじゃないかなぁと。で、「不思議だなぁ、人の気持ちは、感情は…」と思いました。それが、酔っ払ってですね、聞きながら思った正直な感想です。
こうやって、たくさんのリスナーの方々にお会いする事ができて、いつも思うのですが、ヒコヒコが僕に与えてくれた最大のものは、音楽や映画や本や、そういうものも当然なんだけど、リスナーの方々なんじゃないかと思います。ヒコヒコは終わっても、ずっと続きそうというか、ずっとお付き合い願いたい方がたくさんいますし。HPは、文字ヒコの更新は番組の終了と共に終わりますが、CAFEとチャットで、ヒコヒコ最大の遺産、リスナーの繋がりの維持に貢献できたらと思います。これからもよろしくお願いします。本当にみなさん、ありがとうございました。またぜひお会いしましょう。


【Ken】
こんちは、リスナーズパーティーに参加された方、お疲れさまでした。同席されたライフさん、清月さん、ぴ~さん 声をかけてくれた参加リスナーの方々、「おっさん」相手に有難うございました一種の「海賊版」とでも言うのかなぁ?パーティーの間、MDにMic繋げて放り投げて録音してまして、それを帰りのフェリーの中で聴いていました。…で、聴きながら色々な想いが頭の中を巡っていましたが、一番印象に残っているのは最後に握手して頂いた時の手の温もりかなぁ?田中さんの手の感触は単刀直入に入ってくるような、がっしりとした感じでした。

【ジョンポリ】
幹事及び運営スタッフの方々、本当にお疲れ様でした。私の青春であるPOPSヒコヒコタイム。私の価値観を充実してくれたPOPSヒコヒコタイム。「孤独」とは何かを教えてくれたPOPSヒコヒコタイム。自分自身の人生を変えたPOPSヒコヒコタイム。本当にありがとうございました。

まあ、お別れの言葉ばかり述べててもですね、まだ三月ありますので、レギュラーのヒコヒコに来週から還りたいと思ってるんですが、今週は1月3日のパーティー参加者、年賀状からピックアップしてお送りしております。

~そんな時君を思い出す/1927 ~
この番組では、時々妙な曲をプッシュしてはですね、ヒットを一生懸命させていた傾向があったんですが、この曲もいつかの時代の何月かのプッシュとしてオンエアしました。全国的に、世界的に、全くヒットしなかったけれど、僕は名曲だと思っております。


~恋の診断書/Carol Douglas~

チャートのほうはですね、3月で終わっちゃうので、1年間できないのも変なので、このコーナー1時から15分間はウィークリーチャートをやっていたんですけど、3月まではですね、私の青春譜などの話を全部していきたいと思ってるんです。で、もちろん青春がヒコヒコタイムでもあったわけですから、かつてこのヒコヒコタイムでご一緒した皆さんも、ドンドンゲストに呼びながらですね、この15分間を毎週毎週作っていきたいというふうに思います。

で、第一回の今日はですね、自分のとって一番の年、一番記憶に残ってる年の話をしようと思います。これは、西暦でいうと1975年っていう年が自分の人生で一番激烈だった年なんですね。年齢でいうと、21歳の時か。で、この年のことをずっと前に「1975年のララバイ」っていうエッセイを書いて、それでエッセイ集を頂戴した事がありました。実は、それは競馬の話を書いたんですけど、何故その競馬の話が自分の人生とかポップスと関連するのかっていうことなんですが…。あのぉ、競馬ってさ、好きだったんですよ、当時ね。で、競馬が好きというとね、よく分からない方は「馬券が好き」と勘違いされて、「あ~ら、ギャンブル狂なのね」とすぐ言う方がいるんですけど、そうじゃなくてですね、競馬の馬が走ってる姿を遠くから見てる…綺麗だなと思って、それが好きだったのがまず一点あるんですね。それで、アナウンサーになろうとしてましたので、どうせなるんだったら、この美しい馬たちの走る姿を実況するアナウンサーになろうと、当時思ってて、毎週土曜日日曜日に東京の府中競馬場とか千葉の中山競馬場に実況中継の練習に行ってたんですよ。クラブにあった汚い重いデンスケとマイクを持って行くんですね。で、当然放送席ってのは用意されてませんから、一般の地べたにというか、立ち見のおっさん達と一緒に並んでですね、なぜかそこにいる変な若い学生はマイクを出して実況中継をしてるんですよ。で、競馬場というのとても広いですから、競馬の中継アナウンサーというのは、ちゃんとメインスタンドの何階かの高いところにいて、そこから双眼鏡で見ながら手元の資料を見ながら喋ってるんですよ、あれは。で、こっちは双眼鏡もない、時々前の人の頭で見えなくなるという状況で、なんとなく騎手の帽子とか服とかで勘で喋ってた。まあ、放送じゃなくて練習だから間違ってもいいからっていうんで。ただ、恥ずかしいですわね。周りは全部、そりゃダービーとかなら何万も来るけど、普段も1万人はいるわけですから…でも、それをしてたんですよ。で、1回だけ当時付き合ってた彼女を連れて行ったときは、とてもいやな顔をしてましたわ。まあ、そうだわね。で、そういうときにね、競馬のクラシックロードというのが今でもありますね。競馬の馬というのは、4歳の時が一番の大きなレースがあるんです。春の皐月賞・初夏にあるダービー・秋にある菊花賞、これがまぁ4歳馬の三冠と言われてるもんですね、男馬の。で。これにプラスして「天皇杯」とか「有馬記念」が年末にありますから、これ5つとも勝ったら5冠馬といって、まぁいろいろな馬がいたんですけど、最初の皐月賞は東京であるんですが、東京にやってくるのは関西馬と関東馬なんですねで、関東の馬は地元ですわね。で、関西からどんな馬が来るのかってのは、東京でいうととても楽しみなんです。で、関西の代表を決めるレースは阪神3歳ステークスというのがあるんですね。その阪神3歳ステークスで勝った馬が本命となって東上する。当時僕は、フラフラとした生活をしていてですね、とっても誉められたもんじゃないような生活をしていて、それである日フッと関西3歳ステークスの中継が始まったんです。当時、関西テレビに要らした杉本清さんという、今はフリーになられて、いろんな競馬とかメインですけど、いい声の方ですね。あの方の中継を聞いてました。で、その年の関西の3歳ステークスの中心馬はテンポイントという馬だったんです。で、そのテンポイントっていう馬の中継の時にですね、杉本アナウンサーが直線コースで「これがテンポイントだ!見てくれこの足!見てくれこの足!これが関西の期待テンポイントだ!」と、「見てくれ」というのは、東京でネットで見てる人間たちに、「関西にはこんな馬がいるんだぞ!待ってろよ!」みたいな言い方に聞えたんですね。で、その事をエッセイに書いたんですけど、その時に自分は愛媛から東京に行っててですね、アナウンサーになろうとしていたんだけど、なりましたが、いろんな難しいアナウンスの約束事があって、決め事が。今でもあるんですけど、もちろんアクセントとか訛りとか、母音の無声化かとかですね、鼻濁音とかですね、あるんですよ!アナウンサー試験にクリアすべき基本的ななんとかってのが。で、それに相当苦労してた時代だったんです。「もう俺はダメだ」と思ってるときに、その中継を聞いてね、自分もまだ訳のわかんない高校3年生の頃、東京に行ってアナウンサーになろうと思って自分がテンポイントみたいなつもりで来たのに、自分はなにやってるんだろう?という、そういう思いでテンポイントの中継を見たんですよ。で、その直線コースで涙ぐんでしまったんですね。で、ますます競馬が好きになった。で、杉本さんのようなああいう中継をしたい…そう思ってまた練習に行ってたわけで、競馬の中継のある放送局にい行ってないから、何の役にも立たなかったんですが、それでもあとで考えるとですね、競馬の馬たちが直線を駆け抜けるあの時間のスピードと、10何頭が一気にくる時の事を考えるとね、あとでやった野球中継とかサッカー中継なんて、止まって見えるくらい余裕があるんですね。(笑)だから、そういうプレッシャーがプロになったあとになかった事があって、そういう意味でも助かった事がありました。それで、その1975年の事を何で思い出すかと言うと、当時僕は女の子のアパートに転がり込んでて、彼女の友達達もいっぱいそこにいてですね、あまり良くない友達が多くて、シンナーを吸っていた男の子がいたりとかね、そういう中に自分が入っていてですよ、私は吸ってませんよ、だんだん自分がダメになっていく、それは実はさっき言った「ウィズアウト・ユー」の失恋をしたあとでですね、自暴自棄になってたころなんですよね、失恋のあと。なんか、女の子みたいですねぇ、失恋して自暴自棄になるという…そういう時期なんですよ。で、余計にだから、あれが自分の最低の頃だ、どん底だっていうふうに思うんです。でも、結構優しかったんですね、僕。(笑)そういうシンナー吸ってる子達とかですね、もう名前も顔も忘れたけど、彼等にも結構仲良くなれててね、それはそれでいいんです。ただ、自分が一番最低だった頃の1975年の事を思えば、今忙しくて発狂しそうだけど、「まだいいかなぁ…」っていうふうに思うんです。ただ、この番組は孤独をテーマにずっとやってた深夜放送ですから、孤独感というのはいつもあったんですけど、その75年の頃は自暴自棄になっていたけど、ちょっと孤独感でも違うんですよね。その後の、例えば就職をして結婚をして子供がいてっていう普通の生活の中で生まれる孤独感の方が、はるかに重いんですね。今、結婚されている人もいるし、子供がいる方も多いんですけど、実生活をこなしてる中のほうが、ある日フッとくる、1日に2・3分くる、あるいは1週間に5分くらいくる、なんか底知れぬ孤独感の方が凄まじく重いんですね。で、その孤独感を癒す為に何を考えるかというと、1975年の最低の生活だったけど変に孤独じゃなかった頃…彼女のふられたばっかりでいないのに孤独じゃなかった時間…で、自分は本当はどっちが幸せなんだろうな?あの頃と今と…って事を考えてると、今の孤独感が薄れてくる。これが、僕の孤独からの逃避のひとつのパターンになっていた思考回路でありました。

で、こういうジャバジャバした話を毎週するわけじゃありません。今週はたまたま自分の話をいたしました。

POPSヒコヒコタイムが生まれる7年前、1975年のヒット曲から。

~Solitaire/Carpenters~

15分間で、こうやってウィークリーチャートやってた事を考えるとですね、15分間のウィークリーチャートは慌しくてね、このスタジオもですね、僕も曲かけて、頭出し次々用意してってやってて、頭ふわっとしてたんですけど、こうやって普通にやったら、随分楽なんだなぁ…と(笑)今頃になって思ったりして。ウィークリーチャートのないヒコヒコタイムも、まだ不思議な気がします。

【セナパパ】
パーティーでランジェリー長州さん
よく来てくれました、山口放送のアナウンサー。別れ際に彼から詩集をもらいまして、第3集を出してました。これがまた豪華な装丁で。またこれ、。3月までには中身もご紹介しようと思っていますが。あ、頂きものといいますと、ぞうがめさんの旦那さんからネクタイを頂戴してですね、これがとってもナイスセンスでね、ムーミンとスナフキンがむこう向いて歩いている後姿が入ってる紫っぽいネクタイでですね、早速翌日1月4日に新年祝賀会という南海放送の新年の大事なスタート行事があるんですけど、紺のブレザーにこれをして、使わせていただきました。
・オーツカシンヤさん・蒟蒻煎餅さんほか超有名リスナーさんのお顔を拝見できて大感激です。あまり多くのリスナーさんとお話ができなくて残念でしたが、楽しいひとときを過ごすことができました。10年に1回位同窓会みたいにできたら面白いかなとも思いました。
なんか言ってましたねぇ、みんなが。「今度30周年記念しましょうよ、10年後に…」(笑)それもまた面白いね。

【清月】
皆さま、本日はうちのアクマ(娘)がうるさくてすみませんでした…。特に同席のぴーちゃん、Kenさん、ライフくん、幹事さん、従業員の方々にはホントに邪魔になっちゃって、申し訳ないです。予想以上に手こずりほとんど参加できなかったものの、最後30分でようやく娘が寝てくれて、田中さんのスピーチがちゃんと聞けてよかったです。でもでも皆さま方ともっといっぱいしゃべりたかったよ~!(泣)パーティの余韻にじーんと浸りつつ車を走らせ家に帰ると、いきなり母が「あぁおかえり~、早速すまんけど電球とうどん5玉こうてきてー」…うどん5玉ってあんた…生活感あふれるなあ、我が家は…。パーティの感動も一気にふっとび、言われるままに母のサイフを持って買い物してレジに並ぶとサイフの中身は467円!…467円って467円って、うどんしか買えんやんか!(怒)(注)電球40形=1580円「かーちゃんのバカヤロー!」と心で叫びつつ結局お金を取りに戻ってまた買い物に行ったのさ…。どっと疲れた一日でしたが、この限定CDで癒されます。
来た方には、限定のCDを差し上げました。
今日のパーティの関係者、参加者の皆様、幹事さん、そして田中さん、アリガトウ。

あの、限定で差し上げたCDもあったんですが、僕自身も皆さんからのベストセレクションCDを頂戴してですね、今枕元に置いてね、今ちょうど五条明という結構面白い小説を読んでるんです「スノーグッピー」というね、自衛隊かなんかのスパイモノのを読んでるんですが、これ読みながら毎晩あれから聞かせてもらっています。ありがとうございました。

【あすか】
パーティに参加してよかったです。ほんとは皆様とゆっくりお話したかったけれども、子供二人いると席を離れることができませんでした。スピーチでの田中さんの一言一言がとても胸に響き、今までのことをずっと振り返っていました。林さんのライブも素敵でした。わが息子も、微力ながらお役に立てれたでしょうか。
そうそう。あすかちゃんとはがきのかっちゃんの息子さんがビートルズを林さんと一緒に歌ってくれましてね、本当にいい企画だったです。

~Come to me/Bobby Caldwell ~

今日は喋りすぎたせいか、ハガキもメールもいっぱい残ってて、曲もELOの「ホールド・オン・タイト」とポイズンの「ママはダンスを踊らない」がオンエアできそうにない。すいませんでした。

【どどんがどんちゃん】
松山上陸なんて何年ぶりかでしたし、ヒコヒコもここ最近離れてしまってて聞いてなかった私ではございますが、和彦さんにインタビューまでされてしまい、皆様には「なんだこいつは?!」くらいしにしか思われてないでしょう…。今日のパーティーの幹事の方々、鷹ノ子駅で待ってくださっていたボランティアのみなさま、そして田中さん、林さん…歴代の出演者の皆様。本当に今日の一日ありがとうございました。ただいま帰る船がなくなって、松山市内の某所にてインターネット書き込み中のどどんがどんちゃんより

【空の蒼】
楽しいパーティありがとうございました。今、プレゼントのCDを聴きながら書き込みしてます。パーティでは林さんのライブでウルウルして田中さんのスピーチでますますウルウルしてしまいました。ヒコヒコが終わるのは残念だけど、田中さんの気持ちも理解でき、納得して終了を迎えられそうです。

【猫の友達】
こんばんは。最高のパーティー、ありがとうごあいました。参加できて良かったです。緊張して固まってしまいました。なぜかいつもこうなんです。ごめんなさい。いろんなリスナーに会えて、幸せでした。

【Z会の落ちこぼれ】
この方は別にパーティー云々関係ない方なんですが、記憶がある名前です。

そうとうご無沙汰いたしております。私は呉の出身でありますが、現在は広島県の県北にある、ある病院に勤務しております。
県立病院ですねぇ。言っていいか?県立神石三和病院(?)に勤務されているお医者さんですね。
今日はとても寒く、朝から雪が降り続き、かなり積もってきています。今もしんしんと雪が降っています。どこでメールを書いているかといいますと、この病院で当直をしながら書いています。ちょっと開き時間があったため、ヒコヒコのHPを見てみようと思い、”hicohico”で検索していたら、ヒットしたほかのHPの中にヒコヒコの紹介があり、そこに3月で番組が終了と書いてありました。本当なんでしょうか?リアルタイムで放送を聞けないため、実家から送られてくるテープを2・3ヵ月遅れで聞いているため、情報に疎くなっております。私がこの番組を聞き始めたのは、確かデイリーのヒコヒコで、自分は中学3年生だったでしょうか。その後、高校・大学・研修医時代、そして現在までも心の拠り所として過ごしてきました。その拠り所がなくなると思うと、その文章を見た瞬間、強い衝撃を受けました。で、衝動的にこのメールを書いてしまい、申し訳ございません。今後ともご活躍を…。

統計とったら、この方のラスト曲が一番多かったんじゃないかなと思います。
~渚のヴォードウォーク/Bette Midler (Z会の落ちこぼれ)~

【オーツカシンヤ】
こう見えてもポップスを聞き始めて長いんですが、UKにおいてクリスマスウィークのヒットチャートが賭けの対象になっているとは知りませんでした。で、2001年の1等賞は、ロビー・ウィリアムスとニコール・キッドマンの「サムシング・スチューピット」でした。私はイングリッシュマンじゃないので、ロビー・ウィリアムスの存在は別段どうでもいいんですが、今度のアルバムはなかなか好きです。学生時代、NHKのFMラジオを聞いていて、シナトラとかエルヴィスとかカーペンターズとかが好きなんです。運命的な年月ではなかったかもしれませんが、無意味な時間を過ごしてきたわけではなかったのかなぁと思わせてくれるアルバムだと個人的には思いました。

今日は、読もうとしていたカードやメールがあちこち行っちゃって…。
【山崎みどり】
和彦さん、昔のヒコヒコで馬の話をしていた事があったでしょ?私も馬年。馬年って、尽くすタイプだったのかなぁ?

と、このハガキを見たので、競馬の話をしようと思ってたんだ。(笑)順序があちこちになってしまいました。


あとねぇ、伊予高野球部のキャプテンをやっていた向井慎二君ね、2部でおなじみだった彼が結婚をした年賀状をいただきました。へぇ~こんな奥さんと結婚したんだ。それから、猫の友達さんの息子さんと娘さんの写真も年賀状で見て、あぁ~…こういうのいいな。まぎーめいの家族もいいね。まあ、ラジオでなんでありますが、こういう顔写真のハガキ僕大好きですから、暇があったらよろしく。

じゃあ、また来週も、今年も、日曜深夜0:30、3月末までこのポップコーンのテーマで飛ばしてまいります。田中和彦でした。ほいじゃあ。


~ポップコーン~END

1月6日チャート(協力:イーストきん。君)
20 We will rock you/Keiko Lee (New)
19 Ever green/Westlife (20)
18 Little L/Jamiroquai (15)
17 追憶のミュージック/Cher (19)
16 Pacific coast party/Smash Mouth (18)
15 Would you be happier?/The Corrs (16)
14 Go on/N'sync (14)
13 Shine/Mr.Big (11)
12 Tu amor/Kaci (13)
11 You rock my world/Michael Jackson (8)
10 I want love/Elton John (12)
9 One night stand/Mis‐Teeq (10)
8 Rainbow conection/Carpenters (7)
7 Sweet baby/Macy Gray (9)
6 There she goes/Babyface (5)
5 All I want is you/Bellefire (6)
4 Dig in/Lenny Kravitz (3)
3 Drawing/Backstreet Boys (1)
2 Love of my life/Bryan McKnight (2)
1 Hero/Enrique Iglesias (4)

2002.01.13

~ポップコーン~

【夢みるシングルガール】
お久しぶりのカードです。1月3日のサヨナラパーティーに参加できた事、素敵な仲間に出会えたこと、本当に良かったなぁと思います。ありがとう。カードを書くことも、ヒコヒコが終わってしまうと、ほとんど日常ではないだろうなぁ。お気に入りのポストカードを集めるようになったのも、この番組がきっかけでした。このあいだ雪の降った日に、ふと「ハードボイルド神無月くんは、半袖なのかしら?」と思ってしまいました。
ああ、パーティーに来てたハードボイルド神無月君は、そのペンネームどおりTシャツ1枚で来てましたんでね。なるほどね。

【田中】
今週も、いっぱいのハガキ・カード集まってます。南海放送1週間のラストプログラム、POPSヒコヒコタイム。こんばんは、田中和彦です。



~追憶のミュージック/Cher (プッシュ)~

まあ、1月3日にやったサヨナラパーティーから間がないんでですね、そのパーティーの感想が今週もいっぱい来てるんですが。

【ハーツ】
3日はお世話になりました。「大学の時に1回か2回カードを書いたことがあるかな?」ってくらいのリスナーなもので、どうしようかと迷っていたんですが、行って良かったです。

【いよかん組の組長】
1月3日のパーティーは、私の大切な思い出になりました。和彦さんの挨拶や、林さんのライヴが、私の胸にストレートに染み込んで、体が熱くなりました。ひとつのラジオ番組を愛する90名が一堂に集まって同じ時間を楽しく過ごせた事を、和彦さんや幹事のお二人、他リスナーの多くの方に感謝をいたします。

一方、来なかった方の中からも、こんなハガキを頂いております。


【6月10日】
いつも彼女は横書きのグリーンの万年筆の字で書いてきます。
先週の放送では、1月3日のパーティーに参加された方々の感動や満足感がひしひしと伝わってきました。成功おめでとうございます。悩んだ挙句参加しなかった私は、非社交的であるのはもちろんなんですが、単にペンネームだけではない匿名というものがとっても気に入ってて、最後まで匿名の存在がいいなと思ったことも理由の一つでした。今まで、なるべく身元があからさまになるような内容は避けてきましたが、一方で想像や誇張、背伸びした文章を書くのも嫌で、毎回カードに向かうたびに精神を統一するような、背筋が延びるような気分でした。私にとって、実名で出すよりも緊張する作業であったと思います。そういえば、匿名ということに関して、ネットを題材にしたものすごく面白い小説を読みました。宮部みゆきの「RPG」です。しばらく読後感に浸りました。
ああ、「RPG」は、もう文庫本出てますけど、これなかなか面白い。家族がちょっとしたキーワードになってますけど、僕も読みましたが、まぁまぁのいい小説だったですね。


【真夏のランナー】
サヨナラパーティーに参加できた事で、人生の宝物がひとつ増えました。20年のうち、31歳の真夏のランナーが聞けたのは、およそ17年。他のリスナー同様、私の価値観の大部分はヒコヒコを通して和彦さんに培われたものです。だから今日は、ヒコヒコ学校の集いでもありました。林さんの歌声と、田中さんの話に涙が溢れました。ヒコヒコの終わりは、新たなステップの始まりなんだと。だから今日は、卒業式でもあるんだと思いました。孤独なみんなに力を与えてきてくれた和彦さんのように、私自身も他の人にパワーを分けてあげられるように前向きな人でありたいと思います。ずっと続けてきてくれて、ありがとうございました。ラスト3ヶ月、ひとつずつの放送を心に刻み込んでいきます。リクエストは、スターシップの「愛は止まらない」。高校生の頃、放送で和彦さんが「リスナーみんなでこの歌を歌えたらいいね」と言われていた事を懐かしく思い出します。
ああ、そうだ…この歌はホントに大合唱したいねぇ。

~愛は止まらない/Starship (真夏のランナー)~
この歌はその後、「マネキン2」という映画のタイトルで使われましたけど、どちらかというと愛情というよりもですね、友情を歌い上げている感じの歌として使って欲しいなと思ってました。

こういう曲をかけてるとですね、あたしりかちゃん!からですね。

【あたしりかちゃん!】
お昼休みなので現在スターシップの「セーラ」がかかっています。こうやって聴いてると、いい曲っていっぱいあるんだよなぁ~。リクエストでなんですぐ一曲決めちゃったんだろうなぁ~ぶつぶつ…。以前作ったおやすみMD(なんのことはない、ただのスローな曲のオムニバス)を引っ張り出して聴いてると、今ごろになって「あれも良かった、これも捨てがたい」と、あれもこれも、と思い出して。人生「あれかこれか」なのにね。

それから、大洲高校ネタがいっぱいきてたんですけど。

【おしゃべりな病人】
1月3日のパーティー、楽しかったです。思いがけない後輩と、(ぞうがめさんとI am sleepingさんは大洲高校の後輩でした)当時の先生方の話題で盛り上がってしまいましたので、同席されていたジエチルエーテルさんとか渡部さん、オバサンにつきあってもらってありがとうね。ちなみに、受験の時には共通一次に数I・数II・数IIIがあった世代でございます。

【I am sleeping】
今回のパーティで新たな事実が判明してびっくりしました。なんと、ぞうがめさんと高校の同級生だったんです。大洲高校の1年4組、1学期だけ一緒のクラスでした。あのクラスは短期間でバラけてしまったけど、それだけに、思い出がいっぱいあります。高校の近所のお寺で二泊三日の合宿とか、僕たちの代が最後だったはずです。いろいろ思い出しました。あの頃はまだヒコヒコを知らなかった。ヒコヒコと出会ったのは2学期からだったな、とか。それから、2学期からの担任の角田先生(お寺の坊さん)は、れずbe庵とうごうさんの担任でもあったのです。

とてもローカルな話が続くんですが…。


【じょお】
久しぶりに、ここを読んでいたら、懐かしいお話が書いてあるじゃあないですか。まぁくん@I am sleepingさん、私も大洲高校の出身です。「高校の近所のお寺で二泊三日の合宿とか、僕たちの代が最後だったはずです。」と書かれていましたが、いえいえ、私の時にもありました。入学早々のあの合宿は夜遅くまで勉強させられて、辛かったです。担任の先生も一緒に寝泊まりしてましたっけ。香川にいて何が辛いって、こういう母校とかのローカルな話が気軽に出来ないことですかね。今日は懐かしい母校の話が出来て、なんとなく幸せです。

【老いぼれ犬】
海を見ていました。風は強いのに、波は穏やかです。いつもの紅茶が売り切れなので、コーヒーを飲んでいます。くもり空の中をカゴメが飛んでいってます。風を受けて気持ちよさそうで、舞い上がってます。タバコに火をつけました。さっきから立ち上る煙も、口から吐き出す煙も、風の中に吸い込まれています。雨がポツリと落ちてきました。休憩を終えることにします。

~Go west/Pet Shop Boys (ミセス苺酒)~

先週来、年賀状などで皆様の絵葉書といいますかね、家族の写真だとか子供の写真を入れてきてくれてると。これは、世間では悪く言われてますが僕は大好きでありまして。ラジオをやってるとですね、実像が見えない部分があって、「おぉ、こういう顔してるのか」という。パーティーでもお会いしたんですが、【清月】さんから娘・千尋ちゃんの写真と。彼女はなんか車で寝てて見てなかったもんですから、「あ、こういう顔してたのか」と。同じく大分県の【向川健一郎】君からは息子の誠君の写真ね、へぇ~目がクリッとした子であります。こういうのがきてるので…まぁラジオで言ってもしゃあないんですけど。そういう子供を産む一歩手前というNORUDANから。

【NORUDAN】
いよいよヒコヒコも3ヶ月を切ってしまいましたね。私は今月末が出産予定なので、1日に大分に帰ってきました。時間は十分あると思うので、時々カードで参加したいと思っています。今日は朝から図書館でボーッとしてるんですが、お腹が空いたのでラーメンでも食べていきます。和彦さんは、長崎ちゃんぽんが好きだったですっけね?
あの、九州にバイク旅行をしたときに、有明海の側の県道かなんかを走ってるときに、海の家みたいな所にチャンポン屋があって、そこのチャンポンがね、もう!一生忘れないくらい美味しかったんで、あれ以来チャンポン派であります。

【オーツカシンヤ】
メール・ハガキなどたくさん。
サヨナラパーティーが楽しかったというのもなんだか変なんですけど、でも楽しかったですわ。当日宇和島の方は雪が積もっていて寒くて、そのせいだったかどうか分かりませんが、田中先生に会ったら「一発ぶん殴らせてください」とお願いしようと、朝起きたときに思ってました。まあ、とにかくそんな気分だったんです。でも、言えませんでした。
(笑)幸い幸い。言われたら、「いいよ」って言いそうになりますからね。
真夏のランナー夫妻に駅まで送ってもらい、握手をして別れるときに、「リスナーとして会えるのはこれが最後かもしれない」と思ったら、ちょっと辛かったです。もう、あとわずかですが、深夜放送のリスナーとして頑張ってもしょうがないので、何か他の事にトライしようと思っています。ところで、「田口ランデー(?)」のメールマガジンを見ました。大晦日の心霊特番について書いてありました。私も興味をそそられたんですが、見ませんでした。どうも私は、人の死について考えるのが下手です。「しょうがなかったんだろうなぁ…」みたいな中途半端な悲しみしか湧いてきません。死というものが一体何なのか、この年になっても分かっていないんだと思います。その前に、生きている事を身をもって実感していないんだと思います。「自分は50で死ぬなぁ」と常々思っています。そのことは、別段恐いとは思わないんですが、映画などを見ていて感情移入をしてしまって自分の死に様についてあれこれ考えてしまうと、往生際が悪くなる自分が見えてきて怖くなる時があります。

~Hero/Enrique Iglesias (オーツカシンヤ)~

【猫の友達】
ヒコヒコのパーティーか同窓会、30年40年50年なんてあるといいなぁ。50年は無理かもしれないけど、生きていく楽しみができるでしょうねぇ。あと何年かすると、「ヒコヒコのパーティーだ。つらい事があっても頑張れ。田中さんに会えるんだ」と、元気が出そうです。

【21世紀のミルクセーキ】
猫の友達さんはママだったんですねぇ。ちょうど僕と背中合わせで、「そうか、彼女が猫の友達さんかぁ、小柄な彼女はまだ若いなぁ。とてもお子さんがいらっしゃるなんて見えないなぁ」なんて…話はしてないんです。僕のキャラなら誰とでも話はできるんですけど、そうあんなパーティーでは、なかなか踏み込んだ事はできるもんじゃありません。よしぞーさんだったかな?みんなの席にワインを注ぎに回っていただいた時、チャチャッとボケと突っ込みのやり取りが、まぁいいじゃんなんて。僕も知らないリスナーのテーブルにビールを注いで回ったら、もっと自分に広がりができたのに…。オーツカシンヤ君と話したかったです「ヒコヒコプレゼントで当たった僕のカードのコピーをまだ持っていらっしゃるのか?」とか。あるいはEBAさんには、ハートの特注ギターが当たったときの様子なんか聞きたかった。
あぁ、あったねぇ!ハートの特注のエレキギターはそういや昔プレゼントがあって、EBAが大学生の頃に当たったんだ。あぁ、懐かしい話を今思い出しましたわ。
あとで思ったんですが、みんなで集合写真撮ったらよかったのに…。
そうそう、これねぇ、パーティーも終えて後片付けをして「お疲れさん」って言った時にフッとね、「あ!集合写真を撮ったら良かったねぇ!」って言って、「もう遅いよね」っていう話をしましたわ。
もう、このメンバーで集まることなんてないのかな。パープル狂君とは10年ぶり。前回の時は、知り合いがいない中、唯一話せた人でした。当時、アンティークないでたちだったけど、なんかサッパリしてましたね。

【Maya】
1月6日の放送で、偶然と必然についてお話をしてくださった事、とっても共感できました。また、15分間たっぷりと田中さんのお話を聞けるのも、なかなかいいなと思ってます。
1月から1時から15分間ウィークリーチャートをやめましたので、ちょっと話したかったことを話しておこうというコーナーにしています。
ところで、今年の田中さんの目標はもう決まりましたか?。私は、「平常心を保つ事」にしました。あと「前向きな言葉だけを使うこと」をモットーにしたいと思っています。あと、とりあえずの目標は、ハリー・ポッターの第4巻をできるだけ早く読破する事かな。いつもの年の初めに番組で田中さんのその年の目標を聞かせて頂くのが好きでした。今も心に残ってるのは、ず~っと前の「ただ愛のために」っていう言葉です。
確かこれ、アレッシーかなんかが歌ってる曲のタイトルだったですね。まあまあ…そういうロマンチックな事を正月早々(笑)ほざいていた、恥ずかしいげな私も過去にはいたんですね。
では、寒くなりましたのでお体にお気をつけて。

【First Lady】
夏頃から体調を崩して、現在療養中です。今年中には、何とか働けるようになりたいと思ってるんですが。いい報告ができるように、地道に焦らず気力も体力もつけていくつもり。働けるようになったらお金を貯めてパソコンを買い換えて、CAFEを覗きたいです。続きますよね、CAFEは。4月からも田中さんにカードを出すのはかまわないでしょうか?
あの、病気で言うとね、おしゃべりな病人さんが本当に全快されてですね、元気にカードを書いてきてくれるじゃないですか。でまあ、その病気の事がどれほどの重病だったか病名は聞いたことがないんだけど、ダメだと思っていたくらいな病気だった方が、こうやって元気に頑張ってるからですね、今病気療養中でなんとなくボーっとしてる人、まぁ焦らずにゆっくり治して下さい。

これもイントロが特徴的。
~Words/Christians (Maya)~

【Radical Lady】

パーティ参加のみなさん楽しんだようでよかったですね!私はその日道後館に泊まっておりまして、翌日の4日の昼に広島に戻り、その足で大阪に向かい、関空に前泊して5日にロンドンに戻りました。観光港に戻る途中、タクシーから南海放送が偶然見えました。1度伺ったことがありますが、和彦さんいるかな~と思ってみてました。


【サラ】
6日の放送で、3月いっぱいでヒコヒコが終わる事も、3日にサヨナラパーティーも初めて知って、かなり動揺をしております。田中さんたら、私のハガキを読んで馬の話をしてるのね…と図々しくも思いドキドキしながら聞いていたのにハガキは読まれず、「なぁ~んだ違ったのか」と思う、そのあとで本名を読まれてしまって顔から火が出ました。
娘さんとの2ショットの写真を貼ってきてくれました。ありがとうね。本当にこれ、みんなの顔を貼ってきてくれるとね、嬉しいんですよ。「へぇ~こういう顔してる人だったんだ…で、聞いてるんだ」みたいなね。

それからねぇ、ちょっと懐かしいペンネーム。神奈川県に今いる【サスピション】松山北高全盛期ってのがあってですね、彼は書道かなんかの達人だったじゃなかったですか。相変わらずハガキの字が上手い!もう、こういう字を書けたら本当にいいなぁと思いますね、パソコンの時代になってもね。彼も今は、永遠(とわ)ちゃんと旅人(たびと)君の2人のパパになっております。

【せっちゃん命】
2002年1月5日、伊予鉄百貨店スカイドームで「林ひろひこDJブース」という音楽イベントがあり、そこで林ひろひこさんとゲストの横山ゲンゾウと愉快な仲間達の面々を見ました。チラシによると林さんは愛媛のリスナーに絶大な支持を得ているDJ界の草分け的存在と書かれてありました。後半はアマチュアバンドの生演奏がありました。
このね、横山ゲンゾウ君との話を今日はちょっとするんですけど、本名はちょっと覚えてないんです。僕の付き合っていた当時の名前で話しますね。本人が聞いてたら怒るかもしれないけど、僕の勝手な思い出話をします。彼はその時まこっちゃんっていってたんですけど。彼と初めて会った頃というのは、東雲高校のマドンナ坂の途中に当時ライヴハウスができたばっかりでね、いつ頃かというとですね、FMえひめが開局する1年か2年前の話なんですよ。それで、FMえひめが開局時に東京からディレクターが来てですね、この方と仲良くなって、その方とよくライヴハウスで飲みながら話したりとか、当時バンドをしていた林さんと会ったりとかしてた当時ですから、もう随分前になりますね。で、僕はまこっちゃんのことが大好きだったんです。で、こないだ蒟蒻煎餅君に「一番好きな日本の歌、最後の日にこれをかけたいっていう歌、楽しみにしてます」というふうに言われたんだけど、実は音源があるかどうか分からないんですけど、彼が当時モランボン・オールスターズっていうバンドを作ってて、そこで歌った「夢見鳥」っていう歌があったんですね。で、数々の名曲、ポップスやロックや日本の歌を僕はこの20年この番組で紹介してきましたが、いまだに一番残ってる歌がその歌なんですよ。なぜかって事については、その歌についての思い出とか多すぎるからなんですけど、当時まこっちゃんが「夢見鳥」を歌っていた頃、愛媛にはたくさんのアマチュアバンドや若いアーティストがいてですね、各々が松山から東京に行く、勝負をする。何人かはオーディションに合格して上京したんだけど、夢破れて帰ってきたりとか、そういう繰り返しをずっと風景として見ていたんですね。彼ももちろん「ギター1本で食っていきたい」っていうのがあって、名曲だと僕は思ってました。その「夢見鳥」って曲を携えてですね、当時「サウンズ・ウィズ・コーク」っていうコカコーラの番組があって、アマチュアソングコンテストがあったんですね。まあ、いわゆるポプコンみたいなやつですわ。で、愛媛の代表になって中四国大会に臨んだんです。場所はですね、広島県だったと僕は記憶しています。泊まったホテルもよく覚えてるし、夜中に深度3くらいの地震があって、「えっ?」と思ったことも覚えてるんですけど、どこで食べて、翌日に郵貯会館かなんかであった中四国大会の順番がどうだったか、風景がどうだったかは覚えていないんですけれど、当時モランボン・オールスターズに林さんはギターで参加していて何人かのメンバーの顔も覚えてるし、ピアノを弾いてた彼女とはいまだに音信はあったりするんですけれど、その頃にね、まこっちゃんは結婚をしてたんです。で、新居はロープーウェイ街の側のちっちゃなアパートにあって何度か遊びに行ったこともあるんですけど、猫をいっぱい飼っていて、結婚した女の子との間には子供がひとりいて、市役所に結婚届を出した記念証みたいなものを小さい額縁に入れて部屋に飾ってるという。そこには音楽の連中が普段出入りしてて、貧しいんだけれど、何となく夢がある、そういう風景だったです。ヒコヒコタイムが始まるちょっと前かギリギリの頃ね。で、それから数年して実は2人はいろんなことがあって離婚をしたんです。離婚をして、僕は南海放送の多分喫茶店でですね、離婚をして2歳の子供を連れた奥さんだった人とオムライスを食べた事があったんです、偶然会ってね。「よぉ~!」とか言って、「じゃあ、お昼一緒に食べようよ」って。で、その会った2週間後くらいかな?ひとつの事件が松山で起きました。不倫だったと思うんだけど、別れ話に行った女の人が相手の中年男に追われて、行った人の妹さんがまこっちゃんの別れた奥さんだったんですけど、すぐ包丁を振り回す男だったんで危ないからというので2人で話に行ったんですわ。その時にその男がやっぱり包丁を振り回してすね、お姉ちゃんを庇った彼女を刺しちゃったんです。その時に2歳の女の子も一緒にいたんだけど、そのお母さんだけが刺されて死んじゃったんです。そのニュースを僕は当時アナウンサーでいて、夜勤の担当で夜中会社にいて、最終ニュースで読みました。で、被害者の名前を読んだ時にドキッとしたんです…彼女だった。で、そういうことがあってね、その後お子さんがどこに行ったのかわからないんだけれど、まこっちゃんもその後音楽活動を続けてるんですが、彼の歌を聞くごとにですね、人生って何が起こるか分からないし、あんなふうに貧しくても楽しそうに喋っていた仲間達と彼女がいろんな事があったけど今は生きてないって事をね、いつも思い出すことがあって。その都度都度に、その時代時代に自分に仲間がいて、誰かと話したりとか怒ったり騒いだり笑ったりしてるんだけど、10年20年のスパンで考えてると、信じられない事が起こるもんだなぁとね、いつも思い出すんです。で、「夢見鳥」を本当はかけたいんだけど、今は音源がなくて、そのうちまこっちゃんに言ってもらってこようと思うんだけど、今日は、それにピッタリの曲をかけます。で、その後、この曲を僕はヒコヒコでよくかけました。が、今言った話とこの歌とは一貫性はないんですよ。ないんだけれど、淋しい時とか、そういう凄い事件を自分が見てしまったときには、こういう歌を聞いてないとやってられないなぁといつも思ってかけていました。したがって、リクエストがあってこの曲をかけるときには、いつも僕はその事を思っていたって事を今日はお話したかったんです。

~空/五輪真弓~

年でもあるまいし、あまり思い出を話してると、シワシワしてくるので、ハガキ・カードにかえりましょう

【スーさん】
本日、念願の新しいパソコンが届きました。これでひと安心です。いろいろと相談に乗っていただいた皆さん、ありがとうございました。12月31日、忘れもしないPM5:00にパソコンがクラッシュしてから1週間…長かったなぁ。ですが、3日にパーティーがあるのだけを心待ちにしておりまして、3日は楽しかった。本当に、今までは名前だけは知っている有名リスナーの方々に出会えて、幸せな気分を味わっておりました。パーティー中にかかる曲も「あぁ~ヒコヒコだわ」としみじみ感じましたし、林さんのライヴでは少しジーンとしてしまうし、和彦氏の挨拶では涙を流してしまいました。まだ少し余韻が残ってて、なんだか夢のような時間を過ごせました。いろいろとご尽力された皆様、少しですがお役に立てたでしょうか?

【高橋国雄】
それにしても、10周年の時の僕のパジャマ姿は目立っていたんですねぇ。あの緑色のパジャマは破けてしまい、今はありません。
そりゃそうだろう。
何故あの時にパジャマにしたのか、まず目立ちたかった事と、TPOの感覚を少しずらす事によってウケるんじゃないかと思ったんです。
っていっても、彼は10年前はホントにパジャマでパーティーにいたからね。それはTPOをずらし過ぎだっつうんですが…まぁ、こうやって印象に残ってるんだからねぇ、いいよね。

【ともみ】
年末とも正月とも言う気のしないまま1月も半ばが来ようとしています。お元気でしょうか?最近寒い日が続いてますが、私は冬が好きなんですが朝起きるのだけは辛いです。あと、夜の犬の散歩。寒いと、たまらなく顔も痛いけど、寒い方が星はきれいに見える。オリオン座が今は綺麗ですね。いつか誰かと見た頃は、もっと切なく見えたっけ。私が聞きたい曲は、タイトルが分からないんです。

【真夏のランナー】
今はひとり、ヒコヒコと過ごした思い出に浸っております。去年、単身で聞くヒコヒコは凄く淋しくて、今家族と共に気くヒコヒコは凄くあったかくて、家族のあったかさを改めて感じました。ランナーは15年位前、そう!高校時分に聞いていた曲を聞きたい衝動に駆られています。各リスナーの素晴らしいリクエストを今週も期待しております。娘も、もうすぐ5歳。来年は小学生。将来、分かる年になったら、この番組のことを話してあげようと思っています。

~Never surrender/Corey Hart (真夏のランナー)~
今週のリクエストはですね、同じ時代のリクエストが多くて、な~んとなくふわ~っと一色系統がしてるんですが。当時ちょうど、その頃コリー・ハートはお母さんを癌で亡くしてて、その闘病生活をしていた頃のお母さんに対する歌だったと聞いてるんですが。

【低気圧ガール】
現在、1月6日の放送後です。眠れない事が多くなり、いろいろ考えてずっと連絡を取り合っていた県外の彼と今朝別れました。声を聞くとこの3ヶ月の間に飲み込んでしまった言葉や言えなかった事がいっぱい出てきて辛いので、メールにしました。いつか田中さんは、男と女の間には友情は成立しないと言われてましたが、私も学生の頃から同じ考えです。彼は「友達でもいられないの?」と連絡してきましたが、彼に気持ちもないのにズルズルと連絡だけ取り合うのはとても辛いので、きちんと終わる事にしました。病気になって、散々な思いもしたけど、病気や遠距離に決して負けたんじゃないと思っています。照れ屋過ぎて自分の気持ちをちゃんとキチンと言わない彼の態度に耐えられなくなったのが一番の決定打かな。そんな彼を心配をさせないように、定期的に当り障りのないことだけを連絡するのに、もう疲れちゃいました。彼を好きでいつづける自信も、もうなくなってしまいました。恐ろしいほどの偶然と、奇跡に近い出会い方をした私達ですが、これもまた必然だったのかな…と今は思ってます。リクエストはシカゴの「素直になれなくて」をお願いします。会う時は、なぜかいつもこの曲を2人で聞いていたので…。

~素直になれなくて/Chicago (低気圧ガール)~
こういう切り替え方法は良くないんで、随分な事を言ってるなと思われるかもしれませんけど、嫌な事があったとき、ショックな出来事があった時に「これで、自分にしかできない名曲ができた」と思ってるとですね、ちょっと気楽になる事がある。あのぉ、この番組を20年やっててね、現状で嫌な事があるじゃないですか。その時にですね、ちょうどひとつの歌が聞えてると、「ああ、この曲について、僕は思い出が出来た。まあ、だからよかったか…名曲1曲と取り替えて嫌な事をしちゃったんだ、経験しちゃったんだ」と思うことにしていたんです。それがこの番組を続けた大きな理由でもあったんですけど。

【ジロー】
サヨナラパーティーに参加していたんですけど、隣の席が有名リスナーのオーツカシンヤ君だったので感動しました。合ちゃんは晴れ着姿が印象的でした。

【クウガライジングドラゴン】
去年は電話、そして学校のインターネットでヒコヒコを楽しんでました。思えば、このポップスヒコヒコタイムは、私にとってかけがえのない番組です。
彼は今、徳島かどっかにいってるんだったっけね?お正月に実家からきてました。

【ハーツ】
旦那さんの携帯で打ってるの?。
今朝の新聞に「エリック・クラプトン結婚!」とあった。しかも相手が25歳?思わず「ほんまかいな?」と叫んでしまった。6ヶ月の娘さんまでいるそうで、男は56になっても若い嫁さんもらえるんだなぁ…。女は56では結婚できても子供産めないわねぇ。子供を持つっていう根本的な人生の選択に時間制限があるのは、少し疑問ですわ。

【パープル狂】
1月3日、お疲れでした。いろいろ迷ったんですけど、参加してよかったです。いつものことで、皆さんとは最初なかなか喋れなかったんですが、今回は鴨頭君や、どどんがどんちゃんや、さかもとりょうMAさんや、イーストきん君やらっぱ君とか、林さんや合ちゃん、その他大勢としゃべる事ができました。帰りにもらったCDを聞いたんですが、ドライブにもってこいです。それと、やっぱり”包丁1本~頭に刺して~”は最高ですねぇ。リアルタイムで聞いたはずなのに、何度聞いても大ウケでした。番組はあと三月ですが、それまでは悔いが残らないようにリクエストしていきたいと思います。

~Bohemian rhapsody/Queen (パープル狂)~
この歌を聞いてると、なんか死ぬのが恐くなるっていう、変な気持ちがしてしまうんですが…。

今週の選曲をちょっと反省してるんですけど、シワシワした曲が多くてごめんねぇ。ごめんねぇって、皆さんのリクエストを選んだだけなんですけれども、また来週もカードよろしく。DJ、田中和彦でした。ほいじゃあ。


~ポップコーン~END

1月13日チャート
20 Isn't this the world/Joe (New)
19 We will rock you/Keiko Lee (20)
18 Ever green/Westlife (19)
17 Shine/Mr.Big (13)
16 追憶のミュージック/Cher (17)
15 Pacific coast party/Smash Mouth (16)
14 Would you be happier?/The Corrs (15)
13 You rock my world/Michael Jackson (11)
12 Go on/N'sync (14)
11 Rainbow conection/Carpenters (8)
10 Tu amor/Kaci (12)
9 I want love/Elton John (10)
8 There she goes/Babyface (6)
7 One night stand/Mis‐Teeq (9)
6 Dig in/Lenny Kravitz (4)
5 Sweet baby/Macy Gray (7)
4 Drawing/Backstreet Boys (3)
3 Love of my life/Bryan McKnight (2)
2 All I want is you/Bellefire (5)
1 Hero/Enrique Iglesias (2weeks)

2002.01.20

~ポップコーン~

【れずbe庵とうごう】
みなさま当たりました。初めてです。年賀状のお年玉でふるさと小包(3等)が当たりました。4等の切手は12枚当たってました。今日、鎌倉の銭洗弁天に行ったのが良かったのかな。みなさんはどうでしたか。
よくヒコヒコタイムにカードとか年賀状がくるんでですね、かつて「僕のが当たったでしょう!」という確認のはがきなんかもきていたんですが、もう何年か前から「見ない!」と。(笑)見たら、ふるさと小包ってありそうなきがするなぁと。
お正月に久しぶりに大洲高校に行ってきました。もう古い校舎は無くて新しい校舎を建てていました。教室の木で出来た床がなつかしいです。今度行ったときは新校舎ができてるだろうな。まーくんが昼寝をしていた至徳堂(中江藤樹先生の家)はそのままでした。


【田中】
南海放送1週間のラストプログラム、POPSヒコヒコタイム。こんばんは、田中和彦です。


~追憶のミュージック/Cher (プッシュ)~

【オーツカシンヤ】
最近は葉書とメールの両刀使いですけど、まずはメールからですね。
ビルボードドットコムを見ていて「う~ん」と思ったんですけど、1982年は「E.T.」の年だったんですね。
ああ、そうだねぇ。僕ねえ、この年よく覚えてるのは、長い事年末年始は仕事があったんだけど、この年のお正月だけは大晦日と1日に休みがとれてですね、別府の温泉旅館に行って、ホントにこの年で最初で最後なんですけど、大晦日を別府の温泉旅館で過ごしたですわ。高かったなぁ~!正月料金で。で、何で覚えてるのかといいますとね、行った所は大晦日に別府の旅館から歩いて行く、そこでは有名な初詣に行く神社に行ってですね。帰りの夜店がですね、そこら中E.T.人形。指先が豆電球入っててピーと光るというのをね、売ってましたね。当時息子が2歳でね(笑)もう、あれがまだ2歳で!「これ欲しいぃ~」と言うのをね、しょうもないなと思いながら買ったのを覚えてるんで。やっぱりあの、しょうもないものでも買っておくと「あの年の正月はこうだった」というのを覚えますね。なるべく、ゆくゆく何年もして「これは絶対しょうもない」と分かってるものでも買っておくというのは手だなぁという気はしますね。よくベトナムに旅行行った人が現地でアオザイを買うとかね、中国に行った方が現地でチャイナドレスを買うってのがあってですね、ああいうのはそこで作ってても、持って帰って多分一生に1回着ない。家で着て終わるくらい。でも、買ったら思い出が出来るということですかね。
まだ、さかもと先生のカードのコピーは押入れの奥を探せばあります。伏魔殿のようになってるので、すぐには出せませんが…。オセロゲームで黒の勝ちみたいな印象でした。
あ、そのさかもとりょうMAのカードがどんなものだったのかというプレゼントをしたときね。
でも、このご時世に、ああいう葉書が郵便受けにあれば、新手のバイオテロみたいで触るのがちょっと恐いかな…みたいな感じ。字が汚い私が小さい字を書くと読めないし、長い文など書けないので、全然正反対で個人的には好きなんですけど。ピアノも弾けないし、星座も知らないし分からないし、今日まで自分のパソコンでDVDが見れるとは知りませんでした。
だいぶオーツカシンヤのパソコン界への進出もですね、習熟度を高めてきたという感じはしますね。

【じょお】
以前に高松でも南海放送ラジオを聞く方法はないものか?と書きましたが、あるHPで遠距離受信のことを知りました。それによると深夜のほうが聞きやすいらしい。ちょうどヒコヒコは深夜じゃないですか。じゃっ、ここは試してみましょう。成果がありましたら、またここに書き込むと思います。ただ、問題は放送の時間まで起きているか、どうかなんですよね。起きておこう!と思うときに限って、眠気が私を襲うものですから。「高輝度青色LEDを独力で開発してノーベル賞確実といわれている中村修二さんをご存じですか?瀬戸町出身の大洲高校卒業生です。」という書き込みがありましたが、まぁくん@I am sleepingさん、大洲高の卒業生にそんな偉大な先輩がいらっしゃるとは知りませんでした。本当にノーベル賞を受賞される日が来ることを祈ります。
もしこれねぇ、この方がノーベル賞くると、愛媛県が内子の大江健三郎さんに大洲の中村さんっていうんで、全部愛媛県からはあそこかい!と(笑)偉い人が出るのはあのへんかい!というふうになりますわね。

【Maya】
先週はリクエストをかけてくれてありがとうございました。このところ、「ワーズ」のメロディーが頭の中で何度も何度も流れていたので、とても嬉しく聞かせてもらいました。先日、ずっと前に図書館で予約していた本が借りられるようになったと連絡があり、早速行ってきました。
へえ、この頃図書館ってのは予約っつうのもありなんですか?知らんかったねぇ。
その本とは、「ダレンシャン2若きヴァンパイア」っていう本で、一応児童書なんですけども、これが凄い本で。かなりショッキングな内容なのですが、感動してしまいました。
ショッキングだが感動するというのは、なかなかないですよね。あの、もう昨日から始まったのかな?「ほの暗い水の底から」という日本のホラー映画がありますけど、あれはねぇ僕は本を読んだときにね、かなりショッキングだったけど感動したんですわ。どうなってるかねぇ?映画でね。
機会があれば、田中さんご覧になってください。今のところ第3巻まで出ていて、密かにブームになっている本。1巻は序章という感じで、2巻から本格的に面白くなってきます。ワーナーブラザースで映画化されるとの事です。

~The stranger/Billy Joel (ジエチルエーテル)~

【ジエチルエーテル】
最近になってビリー・ジョエルにハマっております。20日だったかなぁ?EBAさんがアメリカに行ってしまわれるとの事。体に気をつけてがんばってください。
EBAもね、ある日突然「ジブラルタルに行ってきます」で、今度「アメリカに行ってきます」ということで…羽ばたいておりますが。

【ハーツ】
もうすぐ4歳になる息子が妹にマーチカーで轢かれて「いたい~」と文句を言うと、兄を轢いた2歳になったばかりの娘が「どかんかい~!」と逆ギレしている今日この頃です。
(笑)恐ろしい…2歳の娘。
誰が「女の子は育てやすい」だの「2人目は育てやすい」だの言ったんでしょうか?しかも娘は女で2人目で、しかも、丙午とか寅じゃなくて兎年なんですよ!…。話変わって、みゆきさんのラジオ番組で音楽ギフト券をもらいましたが、何を買おうかと迷っている間に年を越してしまいました。何かお勧めがあったら教えてください。
さっきちょっとE.T.の話をしましたけど、CDを買う時には何かニュース性があるものをね、何でもいいんだったらですよ、買っておく手があると思うんですね。で、僕はクラプトンを買ったらどうかなと思うんですよ。年を越しちゃったけど、56にして30以上離れている嫁さんと結婚したその年に渋いクラプトンを聞くと…そうするとやっぱり男は年じゃないなぁと。こういう男はずっとモテるんだなぁと。いいなぁという感じで買っておくとですね、まぁいつ別れるか知りませんけど、あの年に買ったアルバムというので記憶もちゃんとするわけですね。お薦めしておきましょう。

【?】
大洲出身の大阪在住の36歳の男です。正月は郷里に家族で里帰りしていたものですが、その際、本家の甥っ子からヒコヒコタイムがこの春をもって終了し、今後は番組をもたない事を知りました。で、先週の放送は大阪帰りに松山道を運転しながら聞いていました。私にとっては最後の放送になりました。ヒコヒコの思い出は、もはや初回の放送を聞いたことくらいしか記憶にありません。高校時代の3年間しかヒコヒコは聴くことはできませんでしたが、和彦さんと松沢はつみさんはラジオ世代の我々が青春時代を語るにおいてなくてはならない特別な存在でありました。和彦さんはテレビの番組で、母校の大洲高校の文化祭の仮装行列の取材に来ていただいた際、お顔を拝見させていただきました。
あ、懐かしい。「ちょっとボンジュール」じゃないか?確か…記憶があるんだけど違うかなぁ?テレビの取材もあちこち行ったんだけど、確かに記憶があります。大洲高校の文化祭にはテレビの取材に2回行った記憶があるんですけど、どっかで会ったんでしょうねぇ。リクエストは、この方からティモシー・シュミットで頂いておりますが、今日はね、オール・フォー・ワンで聞いてください。

~So much in love/All 4 One (?)~
ちょっとレコードのオンエアが続いたんでね、そんだけの理由で、実はティモシー・シュミットはCDバージョンをうちは持ってないんで、オール・フォー・ワンにしました。

【赤い車】
ひさしぶりだね。
今日は、相談したい事があるのでカードを書きます。こないだ、初めてお給料をもらいました。でも、一体何のために使えば良いのか見当もつかないのです。バイト先の奥さんは「自分にごほうびを買ってあげなさい」と優しくおっしゃいました。和彦さんは初めてのお給料で何を買いましたか?。私はバイト先で失敗ばかりです。でも、がんばります。
初任給は…確か、まだお袋のお母さん、母方のおばあちゃんもおじいちゃんも当時は生きてたんであります。で、その時に就職祝いもらったからっていうので、おばあちゃんにお菓子を買っていったのと、僕も自分のためにスーツを1着買いましたわ。当時ね、細身のスーツが流行っててね、今考えたら、もちろんそのスーツは手元にありませんけど、どうやったらそのスーツの上着に肩が入るのよ?というくらい凄い細身のね。エドワーズっていうブランドがあったんですよ、僕はエドワーズが好きでね、スーツもジャケットも全部エドワーズばっかりだったんですね。あの頃はね、上半身は細かったからね、結構入ってたんですけど、今はもう信じられないですね。細身のスーツとかジャケットを着ようとも思わないし、着ていたという記憶も定かじゃなくなってきてますが…ふと思い出しました。

【遊子】
久しぶりだねぇ。
今まで遊子はヒコヒコに頼ってばかりで、そんなふうにしていたら自分がダメになりそうで、そんな感じでヒコヒコから独り立ちしたくて、しばらくの間聞かないことにしておりました。で、番組が3月で終わる事が決まっていてビックリしました。これで、本当にヒコヒコから卒業しなければならないと思いました。淋しいけど頑張ります。
でまあ20年、この3月までホントにカウントダウンになりましたけど、僕自身もですね、毎晩やってた頃のヒコヒコタイム、それから1週間に1回のこの番組を通じてね、1週間にあった事、細かな感情の揺れ、自分が得た知識や会った人とのもの、すべて番組で喋っちゃてたんですよ。だから、もし、あれを番組をしてなくてね、ずっと僕がメモをつけていたとか、自分の中にストックしていたら、僕はもしかすると長編小説を10本か20本は書けていたのになぁと思うんです。いや別に後悔してるわけじゃなくて、”ああだったらこうだったのになぁ”ということをフッと思うだけなんですけど。でも、この番組をやっていて本当に良かったと思っています。で、僕自身もそういう意味ではヒコヒコタイムに春からは甘える事ができないので、もしかすると自分にいろんなものが溜まってきてですね、「何か俺はやるんじゃないか?」っていう淡い期待もあったりするんですが。

~ニューヨーク・シティ・セレナーデ/Christopher Cross (遊子)~

【せっちゃん命】
松山城400年祭の前夜祭で宇都宮民さんを見ました。
ああ、今週始まりましたね。
1月15日から1年間に渡って開催されますが、その前夜祭が松山市営球場でありました。そのMC(マスター・オブ・セレモニー)を担当されていたのが、宇都宮民アナウンサーでありました。
なんか、あの日は寒かったらしいねぇ。ここのところずっと暖かい日が続いたんですが、あの日は寒くてね、民ちゃんはあの司会のあと風邪ひいたって言ってましたけど。1月15日はね、南海放送は朝ワイドからずっと天守閣でずっとやってたんですよ。で、天守閣ってのは重要文化財ですので、暖房をどうするかってのがずっと懸案になっててね、南海放送ラジオでこの仕事を落札したあとね。(笑)で、どうしよう?と。石油ストーブは使えないんですよ、火災が危ないから。ところがご存知の通り、松山城の天守閣ってのは四方アルミサッシなんかないからね、開け放しでしょ?「これは寒いぞ。山ちゃんも大変だぞ」ということでですね、「そうだ!電気はあるから矢倉炬燵はどう?」ってんで、結局矢倉炬燵を天守閣に置いてね、そこでずっと放送をやってもらいましたが。どうやって発注したのか、レンタル屋で借りたのかねぇ?炬燵がまたよせばいいのにピンクかなんかの布団!ちょっと艶めかすぎはしませんか?という感じはしたんですけどね。で、当日はスタッフ達は歩きで放送をスタートさせたんですけど、僕は朝一番のリフトに乗って行ったんですよ。もちろん中村市長もいらっしゃって、そこで話したんですけど、ちょうどたまたまあの日は異常気温で雨は降ってましたが4月上旬並みの気温で15度くらいあったので暖かかったんですけどね、本当にイベントにはいろんなオチとかね、それに至る放送であまり言えない笑い話が結構多いんであります。

リクエストは老いぼれ犬君から。この曲はね、ヒコヒコタイム聞いてた方はご存知の通りですね、私が人生をやり直すとしたら、ファーストキスからやり直せるんだったら、自分のファーストキスは今度はもっと上手にしたいということも含めてね、この曲が似合うようにファーストキスをするぞ!としてみせるぞ!と、かねがね20年言い続けているんでありますが。映画とかテレビのキスシーンとかラブシーンね、あるいは別れて涙のシーンで背中越しに歩いていくシーンが辛いのにカッコよく見えるのは、あれは全部BGMがあるからです。BGMなかったらね、全然ダメ。で、いきましょう。

~星影のセレナーデ/Jim Photoglo (老いぼれ犬)~
15年も付き合ったカップルが遂に結ばれる寸前の歌というのが背景なんですが。


3月にやめるという事になって、途中でウィークリーチャートをやめるというのも変な話なんで、1月からは1時の時報のあとはですね、ウィークリーチャートやってた時間にジャラジャラ喋ってるんですよね。そうするとなんかねぇ、まだペースが掴めないんですよ。(笑)そんで、慣れるだろう…と思いつつメールなどを読んでおりますが。

【Ken】
こんちは、連休は明け方までの怒濤のチャット攻撃で夜昼逆転してます。
先週のヒコヒコタイムの時間にね、チャットをみんなでやってたということで、僕は直前までチャットに付き合ってて、あとは自分の時間に従って失礼したんですが、朝方までやってたらしいねぇ!朝5時6時まで…凄いねぇ。
成人式。学生時代はデパートのアルバイトで写真撮影してましたな。式場の外で待っている方を片っ端から撮影して、後からデパートに貼りだして そこで自分の写真があれば持って帰って貰うという趣向でしたが、要は客引きみたいなもんでしたね。…で、当時から変わり者だったので正面からの撮影は一切せず斜めから望遠使って撮影してました。真正面から近づいて撮影すると、どうしても表情が硬くなりますからねぇ。他の仲間に正面からの撮影を任せて、こちらは親御さんも入れて着物の襟を直すカットとか撮影前の表情なんかばかりでしたが、わざと1テンポずらしたカットも良いもんです。肝心の自分が成人式の時は参加せず、単車に乗って山の上で缶コーヒーすすっていました。所用で出かけたついでに着物であふれる会場を横目で見つつ、こんな事を考えていました。ところで、週明けの深夜、TVのニュース番組にビョークが出演していました。(見られた方多いでしょうねぇ)見た印象は、烏の濡れ羽色とでも言うのかなぁ?綺麗な黒髪と年齢不詳な感じのする印象的な目を持った方でした。スタジオで片足でリズムをとるのを見ていて、確かエスキモー系の方は大地を踏みしめながらリズムをとっていたのを思い出しました。彼女、神道(しんとう)に興味を持っていらっしゃるようで、さてさて現在の日本ではどうかなぁ

このビョークを見たというのは、もうひとり。
【ジョンポリ】
確かニュース23でしたよね?私も見ました。ビョークは、歌う場所がテレビのスタジオであろうとも、全く手を抜くことがない様子でした。すごい歌唱力。去年のコンサート行きたかったなぁ。今年のフジロックフェスティバルで出演する可能性が大きいらしいので、期待します。ビョークは10代のうちに三島由紀夫の著書を読んで感動していたらしい…すごいです。
まあ、当然英訳なんでしょうけど。凄いなぁ…(笑)三島由紀夫はつまらんなぁと、僕はずっと思ってましたからねぇ。

【あさみひろゆき】
1976年の1月3日ですか、私は1976年の1月26日生まれですので、私の生まれる23日前のチャートだったんですね。
これは、1月3日のパーティーの日に来てくれた方にスペシャルCDをプレゼントしたんです。まあ、高い会費を払ってくれたので、せめてものということで。ヒコヒコタイムが始まる前、この番組が1982年に始まってますけど、その6年前、だから僕が大学の学生生活最後の年にやってたチャートを喋って曲かけたんですけどね。
母親のお腹の中にいた頃、1976年という1年のカラーはこんな感じだったんですね。僕の好きな音楽やラジオの要素は、70年代にその源があると思います。いや、ラジオだけじゃなくて、テレビやこの頃のファッションもとてもナウいっていう言葉がピッタリきますね。もらったCD、早速自分の部屋のテレビに繋げてプレステの本体で再生しております。自分の部屋にPM8:50頃帰ってきて、疲れを癒しながらこのカードを書いています。私の青春は、ラジオと共に、このヒコヒコと共にありました。リクエスト:ふくじゅ草「ハーフタイム」
このヒコヒコタイムをやってる中で、たくさんの詩を作りました。で、何がきっかけだったか分からなかったんですが、ふくじゅ草のお姉ちゃんとね、弟のコウイチ君がヒット曲を持って帰ってきた頃、ちょうど当時八木さんの「FMリクエストアワー」が全盛期でですね、僕はまだ自分の番組を持ってなくてフラフラしていたんですけど。そういうフラフラの時に、あの頃詞が恐ろしく浮かんできてね、「こんな詞ができたんだけど、歌ってくれないかな?」というんで、ふくじゅ草に随分とたくさんの歌を歌ってもらいました、作ってもらいました。で、一番の傑作は、この番組でよくかける「モーニングコール」なんですけどね、傑作というか自分としてはですよ。で、ただ、そういう中で、1曲だけ、ご存知の通りレコードになった作品があると。これは南海放送の音版に登録してですね、発売した初年度には作詞印税というものも初めて頂いたんですよ。でまあ、作詞印税というのはレコード1枚からいくらもらえるかいまだに知らないんだけど、とりあえずですね「作詞印税を振り込むから口座番号を教えて欲しい」というお電話を頂いてですね、欣喜雀躍・棚からぼた餅、ちょっとドキドキしました。960円だったんですけど(笑)振り込むほうも振り込み代960円を振り込むためになんぼかかったのかなぁ?と、当時あとになって思ったんですけど。で、振込み確認よりもですね「そうか!」と思ってですね、確かね、高いコーヒーを飲みにいった記憶がありますわ、その電話の後でね。で、「これは自分が書いた作詞印税の高いコーヒー…美味しい!」というふうにね、まぁ960円だから別に何てことはないんですが、だいたい自分が今までに振り返ってみて、お金がこうも貯まってないのは、こういうふうにいろんなワンショットワンショットで言い訳を作りつつですね、すぐ何か買ったり、何か飲んだり、何は食べたりしてたっていうことが主原因だろうなぁと、この歌を聞きながら思っております。西暦でいいますと、1985年の11月に発売をさせてもらいました。もちろん!今は絶版です。田中和彦作詞、和田コウイチ作曲、歌ふくじゅ草。
~ハーフタイム/ふくじゅ草 (あさみひろゆき)~


まあ、ヒコヒコタイムもそういうことでですね、20年ハーフを終わったということで(笑)ハーフ前半20年というのも凄い気の遠くなるようなゲームですけど。

【八方美人】
個人的なことですが、お知らせしておきます。本日発売の週刊新潮(1月24日号)の97ページに八方美人が実名で登場しています。
あ、そう!
別に何か悪いことをしたわけではありませんのでご安心下さい。暇なので何か時間つぶしは出来ないかとお悩みの方は、立ち読みでもしてみてください。

そうですか…見てみましょう。

【ばっちのらっぱ】
早いものですね。阪神大震災から7年です。
今週の木曜日がそうでした。今年も石手寺からですね、早朝の5時半から30分間、合田アナウンサーと一緒に生放送で震災特番をやってきました。まあ、4時頃起きて仕事に行くっていうのもね、そりゃまあ新聞配達の方なんかは毎日こうなのかと思うんだけど、寝れるもんじゃないよね前の晩。そういってもねぇ、一応9時か10時には寝ようという体制をとっていたんですが、寝よう寝ようと思うごとに目が覚めてくるんですね。目が冴えてきて「あぁ~」みたいなね。で、今回はボランティアグループの方で7年間いろんな被災者を支えてきた方を中心に30分の番組と慰霊祭の模様を生中継したんですけど、結局ねぇ、震災に関らず誰かを助けるのは人なんですよ。助けるという言い方が不適な言い方だというふうな誤解があるので大上段に言えないんですが、要は人を支えるのは人で、全部人間なんですね。それをまあ、単に絆と言ってしまえば簡単なんですけど、そうなんだなぁと。で、結果ひとりでは何もできないんですよね。その事に気付くのが早ければ早いほど、何か僕らは大きな成長をするんだろうなという事を思うんです。ところが、そういうことを僕は20代の頃には思ったこともなかったんで、今になって偉そうな事をいってるわけじゃなくて、思えないとき、見えないときもあるんだ、しゃあない!。あのぉ、成人式の話をしたときあったんですけど、今年も14日の日にはエイズのアウトリーチで我々も行ったんですよ、松山のコミセンの会場にね。そこでね、いろいろみんなに配って話をしたんですけど。でも、二十歳の頃ってね、みんながみんな金髪が多くてね、みんな携帯電話しながらタバコ吸ってるのばっかだったんですけど、それをいい年になった頃に「あいつらはダメだ!あの世代は」と言うおっさん必ずいるんですよ。でもね、僕も自分の二十歳の頃を考えてて、「自分もあの頃は社会性なかったよなぁ…」と、「自分のことだけ、自分の楽しみ、したい事だけしか考えてなかったよなぁ…」ということを思ってね。まあ、それはやっぱりしゃあないなと思いました。
某国営放送で、さっき地震で子供を亡くしたお母さんのドキュメンタリーが放送されていました。途中まで見てましたが、泣けてきてしまうので、やめました。やはり、大阪で他人事ではなく経験したからなのでしょうか。神戸の街は、表向きは復興して見えます。その裏で、まだ苦しんでいる人がいる…早く人の心も復興しますように。

【あたしりかちゃん!】
ちょうどこっちに転勤してきて3ヶ月が過ぎた頃で、会社の寮の、朝食を取ろうと降りていった食堂のテレビで震災のことを知りました。どうも現実感がなく、会社に行って「実家は大丈夫?」と言われて、急に心配になって実家に電話したことを思い出しました(もちろん、繋がらなかったけど)。やはりこの日は、当時の不安な気持ちを思い出します。こんな時は、やさしい曲が聴きたいなぁ。(リクエスト:ビリー・ジョエル&レイ・チャールズ/Baby Grand…小型のグランドピアノのことを「BABY GRAND」って言うんだそうです。知ってました?)

~Baby grand/Billy Joel & Ray Charles (あたしりかちゃん!)~

【あたしりかちゃん!】
田中さんが見てきたという「ブレス・ザ・チャイルド」を見てみようと調べたら、こっちでは終わってしまったみたいでショックです。

そうか…松山は今やってんのかな?キム・ベイシンガーの主演の映画ですね。ちょっとサスペンス調のね、確か12月16日生まれの6歳児が次々に殺されていくという。キム・ベイシンガーの妹の子というのが神の子になってましてね、それを悪魔が狙ってくるという、まぁキリスト教の宗教観に基づいて作られた悪魔と天使…という設定のドラマなんですけど、なかなか良かったですよ。キム・ベイシンガーが綺麗でね、もう年もいい年なんですけど、何がいいって二の腕が綺麗なんですよ。やっぱりね、ある程度年がいくとね、そりゃもう顔とか首みたいなことを女の方は気にするけど、二の腕が締まってる、筋肉がついてる人ってのはカッコいいですよねぇ。「なら、お前もしろよ」と言われそうなんで…そうなのよ、二の腕がね…。


【Heartのハート】
和彦さんこんばんは!私は以前ハートのギタープレゼントの歌声大会に参加した者です。今日の放送でアノ日の話題が少し出ていて、とても懐かしかったです。思えば私のこのペンネームもハートから取ったのです。
あ、そうなの。で、この書き込みを読んだ広島のいとぐちからですね。
【いとぐち】
懐かしい話題ですね。ハートの歌声コンテストと聞いて思い出すのは、友達のスケッチ小娘さんのことです。彼女もコンテストに参加してました。(確か1位になったのはEBAちゃんだったよね。)その後彼女は大きな交通事故にあって一時意識不明の重体になりました。集中治療室にいる彼女を見舞いに行ったあと、偶然コンテストの日のヒコヒコのテープがでてきて、聞きながら何ともいえないつらい気分になったことを今でも覚えています。そのテープは今でも実家にあります。今、彼女は自分の力で歩くための努力を続けています。いつも一生懸命な彼女を見習って、私ももっとがんばらなくっちゃあ!
こないだねぇ、えらいローカルな話ですけど、いとぐちさんは元々看護婦さんだったんですね、そのお友達の看護婦さんという方に採血されましたわ。(笑)人間ドックに行って血を抜かれながら「田中さんって、南海放送の田中さんですか?」「はい」「深夜放送やってらっしゃる?」「あ、はいはい」「私の友達のいとぐちさんが…」「ああ!はいはい」…血を抜かれながら盛り上がったもんでございます。

今日の7曲目はね、冒頭に読みましたけどれずbe庵とうごうと八方美人君が新婚旅行に行ってお土産のCDを買ってきてくれたという話を過去しました。で、フィジー諸島に行って、そのフィジー島で「今ここで一番売れてるのをくれ」と言って買ってきたというのがこれだった。ブラックローズという7人の男のグループなんですけど、これがまぁイカサマっぽいCDでね、曲の中にねこの後かけますけどマドンナの「ラ・イスラ・ボニータ」を歌ってるんですよ。アルバムタイトルが「パワー・オブ・セブン」というね…多分これ海賊盤で著作権なんか払ってないじゃないかなぁという気はするんだけれど、なかなか悪くはないんです。多分きっと日本でこの曲をオンエアしている局はどこもないだろうと思うので、新婚旅行のお土産から。

~La isla bonita/Black Rose ~

【ジロー】
私は7日の月曜日が仕事始めだったんですが、年末年始が9連休だったので、ちゃんと仕事ができるか不安でしたが、やればできるもんですね。13・14日の連休でホッとひと休み。ところで私、PHSでメールを始めました。以前は友達にはよく葉書などを書いていたんですが、メールはダイレクトに届くので便利ですね。メールを着信する時の着メロが鳴ると、とても嬉しいです。3月に終わるまでに、林さんヒコヒコに登場してもらえるんでしょうか?。
もちろん登場してもらうつもりだし、懐かしの皆さん、かつての相方とか、パーソナリティーなどにも声掛けてやっていこうという気持ちでは、もちろんあります。

【おしゃべりな病人】
春のような陽気ですね。毎日がとっても慌しく過ぎています。今年に入ってピアノを始めて、勉強を始めて、自分が冬眠から目覚めていくのを感じます。病気は治ります。
あの、元病人さんが断言している「病気は治ります」。ところで、このおしゃべりな病人さんは「以前和彦さんがおっしゃっていた言葉ですね」と”凛”という名前の喫茶店の絵葉書できてるんだけど、これは何か関係があるのかね?病人さんと…よく分からない。よく分からないので、今度ここに行ってみよう。

【みのり】
思い出の風景は、もう最後にようと思えば思うほど鮮やか過ぎるほど胸に突き刺さって痛いです。別れ話を切り出すつもりだったのに、あまりにもいいお天気で、昔彼と一緒に見た海と同じで、結局彼の胸で泣きじゃくってしまいました。風も無く、穏やかで暖かな冬の1日…「あの時別れなくて良かった」と笑いあって言える日が来るといいなぁ

~カーマはきまぐれ/Culture Club (みのり)~
この番組のハードリスナーだった”さばいばるくらぶ”さんの歌ですね。各々のリスナーに各々の曲があるんであります。本来は許可無くかけてはいけないんですけど。

【オーツカシンヤ】
昔、100円ショップにポルトガルのビスケットが置いてあって、私は好きでした。苺とかバナナ味とかがあって美味しかった。なんでユーラシア大陸の端っこから反対側に来てるのに100円なのかと、とても不思議な感じがしました。
(笑)ポルトガルのビスケット…知らんなぁ。そう。

あ~あ、また読み残してしまった…たくさんのカード。また日曜深夜0:30になるべくゆっくりあなたのカードを読んでいきたいと思っております。ヒコヒコをお忘れなく。DJ、田中和彦でした。じゃあ、今晩このへんで。


~ポップコーン~END

1月20日チャート
20 Girl friend/Alicia Keys (New)
19 Isn't this the world/Joe (20)
18 We will rock you/Keiko Lee (19)
17 Ever green/Westlife (18)
16 You rock my world/Michael Jackson (13)
15 追憶のミュージック/Cher (16)
14 Rainbow conection/Carpenters (11)
13 Pacific coast party/Smash Mouth (15)
12 Would you be happier?/The Corrs (14)
11 There she goes/Babyface (8)
10 Tu amor/Kaci (10)
9 Go on/N'sync (12)
8 Dig in/Lenny Kravitz (6)
7 I want love/Elton John (9)
6 One night stand/Mis‐Teeq (7)
5 Drawing/Backstreet Boys (4)
4 Love of my life/Bryan McKnight (3)
3 Sweet baby/Macy Gray (5)
2 All I want is you/Bellefire (2)
1 Hero/Enrique Iglesias (3weeks)

2002.01.27

1月27日

~ポップコーン~

【田中】
1月最終週、南海放送1週間のラストプログラム、POPSヒコヒコタイム。こんばんは、田中和彦です。
【合田】
こんばんは、合田みゆきです。

1月は合ちゃんと10日前にですね、神戸の震災の7年目で、早朝からお仕事ご一緒を…石手寺境内でですね。
させていただきまして。
仕事がはねた後、。
(笑)
まあ、朝の6時に放送が終わったわけです。朝の6時に終わるっていうのもなんかこう…ね。
そうですね。
そこから会社帰っても誰もいないしっていうことで、スタッフ達と奥道後のお風呂に入って、モーニング食って。
はい。
人間不思議なもんですね、一仕事終えて、風呂入って、お腹が一杯になると、眠くなるねぇ。(笑)
(笑)そうですねぇ。
そこから気合入れなおして「おはようございます」と言うのもなんか…随分でございますけど。
ビックリした。その時スッピンだった事を言われるのかと思ってドキドキしちゃいました。(笑)
いえいえ。月末のいつものでゲスト、合田みゆきアナウンサー登場です。

~追憶のミュージック/Cher (プッシュ)~

今週、うちのブーがテレビに出まして。
出ました~。(パチパチ)ブーちゃん可愛らしい。
もうあれですね、犬バカでいるとですね、ド素人に僕は返ってましたね。
(笑)
永野彰子アナウンサーが突然「”今コレ”で取材に行きたいんですけど、いいですか?」「ちょっと待って!え?テレビに映るの?お掃除しなくちゃ!」。
(笑)「どこの人やん?」っていう感じですよね。
たまたま僕ひとりだったもんですから、2時間くらいで家中磨きまわって…はぁはぁ…。
(笑)そうだったんですか!。
それで、1時間くらい写して頂いて喋り捲ったら、編集で1分かい!!!
(笑)映った所は玄関と廊下だけみたいな。
…むこうも掃除したのに…(笑)
(笑)いやぁ、我が家の犬をね、取材されなくて良かったと思いまして。
あぁ。
もうね、ホント今大変なんですよ、ヨボヨボになっちゃって。お年召しちゃって。(笑)
ああ、なるほど。でもあれですね、嬉しいね、自分の犬がテレビに出るって。(笑)
ああ…なんか最近ペットを凄く可愛がってる人多いじゃないですか。
ほんとにもう…ド素人でございますから。
(笑)。

【ものほし竿】
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
おめでとうございます。
先週、大震災のお話の後に「ベイビー・グランド」がかかって思い出したことがあります。阪神大震災のあった当日は、ビリー・ジョエルの大阪城ホールのコンサートがあった日で、コンサートは2日後に延期になったんですけど、大阪に住んでいた僕は当時、罪悪感を抱きつつも2日後にコンサートに行ったんです。会場は、ものすごく暗い雰囲気だたんですけど、ビリー・ジョエルの「震災に遭われた方々のために精一杯頑張ります」というMCのとおり合いの手を求めたり、オーバーなアクションのビリーに刺激され、徐々に会場は熱気を帯びました。最後は拍手大喝采でした。これが今までのコンサートの中で一番心に残るコンサートでした。
合ちゃんは今までで一番思い出してもジーンとくる感動したコンサートって?。
いや、今までにというか、毎回毎回いろんなコンサートで元気をもらうので…中島みゆきさんの時に凄くドキドキしましたね。
ほう。
というのが、自分はそれには参加できなかったんですけれども、この前の中島みゆきさんのコンサートで、なんか一人一人に葉っぱ状のカードを配ってて、それに近況というか…。
メッセージを書けと。
書いて、それに放送作家が3人来て選り分けて、中島さんがコンサートの中で読んでくれるっていうものなんですけど。
お!凄いね、それねぇ!
私ね!あれ出したくってねぇ!でも、開演ギリギリに行ったんで、結局そのコーナーには参加できなかったんですけど、会館にいるほとんど全員の方が書いていらっしゃって。
さすがラジオ出身の方だけある中島みゆきの手法ですねぇ。
ええ!企画としては。本人が言うには、楽屋で後で戻って行って「実は、こうこうこういう理由で来ていたんです」っていうのを後で見るっていうのが凄く悲しくって、それだったらコンサートの間でそういう思いのメッセージを読んでしまおうという。
読んで、曲歌ったら、もう…。
これがすっごく良かった!参加したかった!。
なるほどなぁ…そうかそうか。

この方は…僕は先週お誕生日だったもんですから…
(パチパチ)おめでとうございますぅ~!。
なんてことはないんですけどね。
私初めてです、田中さんにメールを送ってみたのは。
ありがとうございました、どうも。
(笑)。
折り悪く、ちょうど出張に行っておりまして…。
いやね、言ってたんですよ、スタッフとみんなでね「田中さん出張じゃなかったら、みんなでケーキ買って”ハッピーバースデー!”でも…」って言ってたんですけど。
いやぁ~また戒田アナウンサーの歌か…(笑)
(笑)

【いとぐち】
おめでとうございます。これからも1年、田中さんにとって素敵な年でありますように。ヒコヒコタイム宛てに出すバースデーカードはこれで最後になるんですよねぇ…。

~Especially for you/Kylie Minogue & Jason Donovan (いとぐち)~
まだ清純派だった頃のカイリー・ミノーグ。今は色気派になって変わってしまいましたけど。

ちょうどRCCとか山口放送に出張があったんで行ってきたんですけどね、「48にもなって誕生日の日になぁ…」ってのはね、
ええ。
帰りにね、行きはRCCから行ったもんですから、翌日は朝新幹線で岩国に行って山口放送じゃないですか。で、帰りはまた広島まで帰るとJRも高いし、久しぶりにフェリーで帰ろうと。
おお~。
これが愛社精神逞しく。
(笑)
各駅の柳井の方のJRに乗ってですね、柳井港からフェリー。で、駅で降りたのよ。そしたら、港がないのよ。
ええ、ええ。
「あれ?確か歩いて2分くらいだったよなぁ…海はこっちだよなぁ…」って思って…何にもないのよ。
あら!。
駅員さんに「あの、港は?」「柳井港?次の駅」(笑)
(笑)
「ここは柳井駅。次は柳井港駅」
よくあるよくある!門司とかも確かそうでしたよね。
知らんがな…間に合わないからタクシー飛ばして…(笑)それは会社に請求できなくて…(笑)自分のミスだし…。
(爆)そっちの方が高くついたりして。
で、まだある。フェリーってのは、何となく2時間もかかるし、お弁当を食べたくなるじゃない、夕日見ながらね。
いいですねぇ。
ところがどっこい、柳井港の側にあるコンビニは一軒しかない。そこの弁当ですから、もうしれたもんですよね。
うん。
まあ、それでも一応。で、さぁ食べようと思ったら、箸がない…。
(笑)どうするの…
「うそだろぉ…」でまあ、そこのフェリーも人員削減かなんかでサービスカウンターなんかも今はないのよね。
ほうほう。
で、「困ったなぁ」と思ったら、デッキのところにですね、電子レンジで450円で”あったか焼きそばができます”っていう自動販売機が。
はいはい。
これだったら、割り箸が付いてくるじゃない。「よし!」と思ってですね、買ってですね。
買ったんですか?うそ?(笑)
その割り箸出してきて!
それでお弁当と450円のおそばと…。
お弁当と450円のかなりカサカサした焼きそばとを食べながら、瀬戸の夕日を見ながら。
うわぁ~すごい無駄使い!。(爆)
(笑)48だよ…(笑)何とかして欲しかったですねぇ。
すごいですねぇ、重なる時は重なるんですねぇ…。

【おしゃべりな病人】
22日の火曜日11時過ぎ、大洲に向かっていた私は、「お昼には内子に着きそうだな」と思いつつ車を走らせ、伊予市のインターを越えた時に周り一面の銀世界。久しぶりに見るおとぎ話のような雪景色。対面道路は渋滞で、気がつくと事故処理車から人が降りてくる。大洲に向かう車は数台。中央分離帯のポールの間からUターンしてました。そのうち除雪車が来て…。オートマではありましたが、ドライブでなくセカンドでエンジンブレーキをかけながら進みました。CDをラジオに替えたら、「伊予~大洲は通行止め」とのこと。「もっと早く言ってよ!」
(笑)
(笑)あんた、CD聞きよったじゃないかという話もあるね。
言ってたんだと思うんですけどね。
帰りは、海岸通りを通って無事たどり着けました。なんと、1月3日の時の写真が届きました。大感激でした。ありがとうございました。
あれ、どのくらい届いたの?僕は資料でドサッと全部もらったんだけど。
ああ、私も頂きました。田中さんの顔写真や、ひろひこさんのギターを弾いている姿も入っている…はい。で、ひとつひとつにメッセージも。
あれはホントにもう…幹事は大変だったねぇ!
そうなんんですよ。でもねぇ、あとのフォローまでホントに素晴らしかった。
至れり尽せりで、ありがとうございました。
ホントにすばらしかった。お疲れ様でした。

【NORUDAN】

あとねぇ、出産のために大分に帰っている。名前書いてないけど、今の名字は確か田中になってる。ノルダンの字ですわ。多分田中になってる。
あぁ~私もね、先日スポンサーに出した葉書に自分の名前を書いてなかったんですよ。お礼の手紙を書いたんですけどね、「多分これは合田のだろうなぁ」ということで社内で回覧で回ったみたいなんですけど。
多分ね、大分消印でね、書いてるのがですね、
少し遅くなったけど、48歳おめでとう。今年はどのように過ごしたのでしょうか?やっぱり仕事ですか?忙しいい和彦さんには申し訳ないのですが、私は毎日のんびり過ごしています。だから、太りすぎて、今日も病院で怒られてしまいました。
出産前でね。
1週間で1キロ増えただけなのにね。不思議。
と。で、名前書いてない。で、リクエストはオクソの「恋はまちぶせ」を書いてると。これはもう、ノルダンに違いないと思ってるんですが…どうだろうか?。
(笑)

~恋はまちぶせ/Oxo (NORUDAN)~
この歌もね、この番組だけでヒットした曲です。
(笑)
アーティスト的にも1発ヒットで終わっております。世間ではしたがって、ゼロに近い存在。
(笑)

先週ですねぇ、インターネットの方で情報があって、八方美人君。れずbe庵とうごうと結婚した男でございますが、彼が週刊新潮に載ってるっていうんですよ。
ほう!。
で、1月24日の週刊新潮の「よろず医者いらず」というコラムの中に載ってた。
ええ!。
本名石田芳彦さん、30歳。彼でございます。
(笑)
なんで出ていたのかと言いますとですね、
悪いことしたの?。
いやいやいや。彼は製薬会社で健康食品の研究開発をしている研究者なんですよ。
そうそう。だから、お正月の休みも長かったってねぇ。
(笑)
研究者は長く取れるって。
その石田芳彦さんという方が、このコラムによるとね、ながコショウというコショウが健康に良いと。冷え性を改善するあれがあるというんで研究して、このほどあ~たらこ~たらという研究所で作ってるという記事なんですよ。
え~~!すごい!。
すごいよ!なぜこのながコショウと読むのかなぁ?、1年程前に沖縄に彼が行った時にですね、名物の八重山そばを食べた時に、テーブルに乗っている香辛料の瓶があって、これが石垣島の”ヒバーチ:甘い香りの島コショウ”と書いてあって、この成分から「これはいい!」というので、これからですね抽出して作ってきたらしいよ。
へぇ~。
石田芳彦君は!
すごいじゃないですかぁ!。
みんなこうやって、影では仕事をしてるのよ。(笑)
(笑)影ではって…こっちが表だと思うんですけど。
ああ、そうですか。こうやって影では仕事をして、ちゃんと稼いでるのよ。所帯を持ち、生活してるのよ。
いやぁ、この2人が結婚したのがおかしいと言ったらですね、次に会った時にえらい突っ込まれまして、「何が可笑しいんですか?何が可笑しいんですか?」言われましたけど。
これからもう、れずbe庵とうごうは、一生冷え性じゃない。多分。
(笑)ホンマかなぁ?すごいですねぇ、でもねぇ。
そうよねぇ。これ、ちょっとなんか感動もんでしてねぇ。私はひたすら凄いなぁと思ってしまいました。
はぁ~。

【せっちゃん命】
上京区を”じょうきょうく”と読んだRCCのアナウンサーがいました。
(笑)
(笑)。。。

1月19日の放送でニュース項目を読み上げていた吉田アナウンサーがNHK京都放送局で起きた立てこもり事件を伝えたとき間違えました。事件の全部が終わったあとに「”じょうきょうく”じゃなくて”かみぎょうく”」と訂正を入れました。ところがここで他の人が「”かみぎょうく”じゃなくて”かみきょうく”じゃない?」と突っ込みを入れたんです。その後、CMあとに2度目の訂正とお詫びが入りました。
(笑)。
(笑)
まあね。
京都の地名は、また難しいですもんね。
難しいね。僕も入社したときに、今治の常盤(ときわ)町ってある。東京にいたら、常磐線(じょうばんせん)の常磐でしょ。
そっか、常盤貴子さんの。
それで、”じょうばんちょう”て読んで怒られた事がありますよ。
あぁ~地名は難しいですねぇ。
地名は思い込みがありますし、同じ漢字が地区によって読み方が違うんでね。
うんうん。
いつものチクリをありがとうございました。
(笑)
今日はRCC編でありました。
(笑)

~恋に落ちたら/The Beatles (ジロー)~
まあ、この4人中2人いないっていうのもなんか…不思議な気がしますね。
そうですよねぇ。

まあ、そうして私は誕生日はですねぇ、ひとり淋しく広島の宿で(笑)ホテルですけど。
(笑)何もなく…。
それはそれでいいんですけど、合ちゃんは今までの誕生日の中で、気色のいいほど楽しかった時、幸せに満ちた「こういう誕生日が一生続けばいい」みたいな時は?
いや、幸せな誕生日というよりもですね、今年前厄なんですよ。(笑)
(笑)ああいうのは、誕生日から始まるもんかね?
どうなんでしょうね?。
あれっていうのは、旧暦の世界じゃないの?
そうですよね。あれになると、数えになるんですかねぇ?だから、それでね、今年は厄払いにいかなキャと思ってるんですよ。で、「いつもやってるよ」と聞かされてたんで、この前も休みのときに行こうかなと思って準備をしていたんですけれども、電話したらですね…まず私、薬王寺ってのは徳島の方だっていうのを菊間の遍照院と勘違いしてたんですよ。
ああ、薬王寺はそうですわ。
で、菊間の遍照院に電話して「薬王寺ですか?」と言ったら「薬王寺は徳島です」と言われて「しまった間違えたぁ~」と思ったんですけども、それで「厄払いしていただけますか?」って訊いたら、「実は今週末しかやってないんですよ」って言われて、どう考えても平日にしかいけないもんですから「厄払いしないとヤバイよなぁ」と思ってたら、やっぱり体調が…。
土曜日の「ウィークエンドカフェ」、遍照院からやったらどう?(笑)
(笑)「今年厄年の方達の為に送る」みたいな。
これはもう、草鞋かなんか焼きながら。
(笑)そうですか。
いいかもしれない。
編むところから始めてみたりして。
選曲難しいよなぁ…。
(笑)。
「厄スペシャルです」…選曲難しいよなぁ。どんな歌が合うんだろ?
どうなんでしょうねぇ?ちょっと節分の豆まきの歌しか思いつきませんねぇ。
前厄ってのは何?
本厄の前後が前厄と後厄っていうのがあるんですよ。
まあ、いわゆる体質が変わりやすいときということで。
ああ、なんか、みたいですね。私は本厄は例のね…盲腸やってますから。
…そうですよねぇ。
まあ、お気をつけて。
(笑)確か、松葉杖もつきましたよね?。
松葉杖>盲腸…と、だんだん上に上がってきたんです、傷がね。(笑)
(笑)
そうそう、松葉杖があった。靭帯切ってね。ラグビーごっこしてて。
(笑)ですよね。でもまあ、おなかのあたりで止まったんですね、傷はね。
一応止まったですね。
そこから上には行かなかったんですね?。
ええ。良かったなぁ。
(笑)
あれは、もう一回あるの?もうないよね?20数年後にまたくるとかいうんじゃないよね?
一応男性は…ないかな。
まあ、なんかあっても、話のネタになりゃいいや。
(笑)体張って…。
いいじゃないかなぁと。

「君の瞳に恋してる」のリクエストは、いよかん組の組長さんですね。
【いよかん組の組長】
松山城400年記念イベントの花火をラッキーにも見ることができました。花火は夏の風物詩と言いますが、いつ見たって綺麗です。天守閣でコタツに入って生中継の様子をニュースで見ました。思わず笑ってしまいました。きっと苦労話もあったでしょうねぇ。
一番の苦労話は、天守閣にトイレがないこと。
(笑)
これが…。
それは辛い…じゃあ、一番上からどうしてたんですか?。
だから、下降りて、天守閣広場の入り口のところの茶店のところにあるトイレまで行かないと。
え?マジですか?
「それじゃ困るんですよ…」って話をしたら、スタッフが「あのぉ、介護用品で売ってない?」って。
(爆)
いや、それは…漏らしパンツ穿いて放送は…それはちょっと辛いもんがあるんじゃないですかぁ?と。
さすがにねぇ…え?だって、片道10分はゆうにかかるんじゃないですか?。
だから、心して。だから、放送途中で「ちょっと…」ってのはダメなんですね。
うわぁ~それってなんか…。
だから、朝の山ちゃんなんかはそうとう辛かったと思うよ。
ですよねぇ。え~スポーツ中継でも大変ですけどね、もっとですもんね。
もっとねぇ…ええ。
(笑)
まあでも、普通天守閣にトイレいらないことはいらないからね。
まあね。

今日はシーナ・イーストンで。

~君の瞳に恋してる/Sheena Easton (いよかん組の組長)~

合田アナウンサーは、「文福の今日もニッコリ日曜日」であちこち動き回ってるんですが、この前は宇和島に行ってたっけ?。
そうなんですよ。なんか、レースをわざわざ編んで持って来て下さったりとかね、宇和島の方南予の方はホントに温かい方が多くて。
2月はですね、今度は2月17日の日曜日にですね、これは近いです。
ハトマート行ってまいります。
うちの庭でございます。
(笑)ブーちゃん連れて来て下さい。
ブーちゃん連れて行こうかなぁ…ラジオ出してくれる?(笑)
(笑)ブーちゃん、お名前は?「・・・」。
ああ、そうか。寡黙な犬なのはダメなんだよな。
(笑)寡黙な犬って…。
もうホント、素人になった自分は。ビデオの同録をして、ラベルを貼って、永久保存して、「ブーちゃん出演」
(笑)
えー、なんなんだろう?ド素人でございます。
(笑)おかしい…。
月に一度のゲストコーナー、合田みゆきアナウンサーでした。ありがとうございました。
どうも失礼しました。


たくさんのお誕生日おめでとうメッセージを頂戴しております。まあ、個人的なことなんで、あまり読まないでおこうと思いつつも、「せっかく書いたのに読んでくれなかったじゃないか」と思われるのもあれなんですが、Mayaさんありがとうございます。それから、ペンネーム沙羅、久しぶりですねぇ、ありがとうございました。あと、ゆうこさんとか井上栄子さんからお誕生日メッセージを頂戴しておりました。

【ミスティブルー】
気持ちの整理をつけたくて、このところ部屋の片付けばかりをしています。取りためておいた写真も、時が経てば懐かしさだけで、その当時の新鮮な気持ちが蘇らない。そんな気分で整理をつけています。いろんなことを。


【真冬のスイマー】
この葉書は、先日結婚記念日にドライブで行った先で購入したものです。結婚記念日は毎年2人で出かけていたのですが、今年は子連れデートでした。去年のこの日、購入の契約をした車でヒコヒコの録音MDを聞きながら、宇和町まで走りました。3人で四方山話をしつつ、ふと「夫・家族」というよりも「相棒・チーム」と言う方がしっくりくるなぁというふうなことを考えていました。いいことなのか、そうでないことなのかは謎で、多分どちらでもないのだろうと思っています。が、これからもこの車で、このチームで、あちこち行くつもりです。もちろん、運転の方はランナーの担当で。八方美人ご夫妻様、ヒコヒコパーティーの写真ありがとうございました。嬉しくて、5歳の娘に自慢してしまいました。大切にします。


~I don't want to miss a thing/Aerosmith (真冬のスイマー)~

【沙羅】
ヒコヒコタイムをやっている和彦さんの誕生日は今年が最後だと思ったら、すごく大事な日に思えてきて、今日の消印をプレゼントします。
ということで、大事にしましょう。ありがとうねぇ。
今年の私は、なんだか私の許可も得ずに重い荷物が右の肩から左の肩からビュンビュン飛び去っていく気がするんです。上手く回る1年になるといいなぁ。和彦さんは、お誕生日に自分のために何を買われましたか?。
あのねぇ、今年の誕生日はとても恥ずかしいものを買ってしまいました。「部長・島耕作」の漫画。今、11巻まで出てるんですけど、好きでねぇ。ペラペラ雑誌ではよく読んでたんですけど、ちゃんと読もうと思ってですね、「課長・島耕作」時代から結構好きな漫画だったんですよ。普段は漫画は読まないんですけど、誕生日くらいはそういうのってガサッと読むのはどうかなぁと思ってですね、今年のなんと48にもなって「部長・島耕作」全11巻…自分のために買ったものであります。あのぉ、年齢的に共感する部分もあれこれあるんですわ。で、さっき誕生日の日に広島とか山口に行ってきたという話をしましたけど、RCCとかね山口放送とかも同じラジオ放送をしている担当者達と会ってですね、いろんなことを話してるとね、これは仕事なんですけど、とても楽しいんですねぇ。で、楽しく話してきましたわ。

【ジョンポリ】
なんか、二部があった時代っていいなぁ(羨)。
昔、過去、このヒコヒコタイムは2時間の放送だった頃、パート1がリクエストのコーナーで、パート2に2部のコーナーがありました。林さんとやっていたコーナーですね。
集会で貰ったCD聴きました。すごく面白かったです。あの斬新かつ下品で下らない笑いは自分にヒットしました(笑)。多分、その頃に自分がリスナーだったら…壊れてたでしょう。二部のような番組、形を変えてでもいいから復活しないかなぁ…。

まあ、2月3月、林さんをゲストに迎えてですね、2部特集というのを一発組みたいと思っております。
さて、もうすぐ2ヶ月の春休みに突入です。スキーに行きたいなぁ。

【よしぞー】
昨日のんびりとお休みしたツケがぁ~。現場から事務所に帰ってきて、作業服を着たまま打ってます。さっき、妙に足元があったかいと思い、脚半をはずしました。
おぇ?脚半着けてる現場にお勤めなんですか?よしぞーさんは…32歳女性…どういう会社?。
でも、安全靴履いてるからあったかいよぉ。さすがに部屋に入って軍手とヘルメットははずしたんだけど…。…ここまで書いたら、「よしぞーは現場で何か作ってるの?」って思われそうね(苦笑)。事務所でひとり仕事してるのがちょっと嫌になって書き込んでみました。…ボチボチ帰りたいよぉ…くーっ

どこでどんな仕事をしてるんでしょうか?

【ばっちのらっぱ】
ナイタースキー。雨と霧に霞むジャリジャリで茶色い斑点のあるゲレンデを一気に滑る。
あらら…スキー板がめちゃめちゃになるってやつね。
ハリー・ポッターを読んでいるチケット切りのお姉さんの笑顔に癒されながらまた登る。客より係員の方が多いゲレンデ…時間を追うごとに茶色に変わるゲレンデ…絞れるスキーウエア…雪のない連絡通路…まさに二度とないようなシチュエーション。風呂とビールで癒される。寝てると落ちてくるカメムシ。お寒い朝食。翌朝。さらに減少した雪。滑れない連絡通路。大会に占領されて滑れないお目当てのチャンピオンコース。昨日のお姉さんの笑顔にまた救われながら、闇雲に滑る。帰り。うるさい雨。風速12メートルな瀬戸大橋。オービスの一抹の不安。ちゃんとスキーしたもん。アイスも美味しかったもん。温泉旅行じゃないもん。来月リベンジだもん…。

まあ、スキーだけは雪が無ければ、こうなります。

【りの】
リクエストは、ブリジット・ウィルソンの「2人だけのデート」。珍しいリズムのある曲のリクエストですね。
彼とケンカするのも、彼と一緒に頑張っていこうって思えるのも、そのきっかけは本当に些細なこと。そんな事で一喜一憂して泣いたり笑ったり。今の私は、本当に大忙し。

~2人だけのデート/Bridgette Willson (りの)~
8年前くらいだったですねぇ…元々オリジナルはですね、ダスティ・スプリングフィールドって方なんですけど、70年代にはベイシティ・ローラーズ、80年代にはサマンサ・フォックスとかね、やってまして、8年前にはこのブリジット・ウィルソンと。多分ね、2002年あたりもですね、これくるよ。この曲はリバイバルして。一番アイドル系に歌わせるとハマる曲ですからね。

【ぞうがめ】
I am sleepingさんとは同級生だと気がつき、ヒコヒコパーティーで思わず声を掛けてしまいました。いやぁ会えてよかったです。会えてよかったといえば、同席させていただいたジエチルエーテルさん、おしゃべりな病人さん、渡部隆寛さん、本当に楽しゅうございました。皆さん理系で圧倒されてしまいましたが、いろいろ物知りになった気がします。おしゃべりな病人さんが、大洲高校の先輩だということがわかり、驚き倍増。ちなみに、I am sleepingさんの担任だった住田先生は、再び大洲高校に戻っておいでです。彼は国語の先生で、お坊さんなのに過激で、なかなか面白い方。話変わって、松竹に勤務されてる方がいらっしゃいましたが、私は本当に羨ましい。なぜならば、松竹には鬼平あり。鬼平といえばそう、中村吉右衛門。池波正太郎作「鬼平犯科帳」の単行本全巻を私持っています。というわけで。

(笑)そうですか。


【スーさん】
今日、毎度のことながら人事異動が発令になりました。私が入社したときからの上司の方や先輩の何名かが各支店(まあ、結局の所、栄転になるのですが)に異動になりました。ウチの部署(融資・外為)は
あ、銀行員なんだね。
3ヶ月に1度も異動がある中、何とか異動なしでやっていたという…。今まで大変お世話になった方ばかりでなんだか少し淋しい気がします。まあ、この忙しい1月に(外為はフランス通貨の買取で超多忙)わざわざ異動発令しなくても…とは思いましたが。明日からしばらく窓口応対&輸入書類対応に追われそう。先輩方に教わったこと、忘れないようにしなきゃ!まだまだお勉強が必要なスーさんでした。

ほう。そういうのやっぱりあるんだね。

【エイプリルチューリップ】
3日のパーティの時のお写真を受け取りました。(イーストきんさん、ばっちのらっぱさんありがとうございました。)
遅ればせながら、いいパーティでしたね…。ご家族連れの方もいて時の流れこそ感じたけれど、田中さんのお話を聞きながら(しかも、ま横で)懐かしいあの頃を思い出していました。いいもんですね…。仕事も何も関係ない、好きな曲があって、お互いよく知っているのはペンネームだけ…という集まりも…。同窓会をする時は、ぜひ誘ってください。スタイルは気になるところですが、また行きます。田中さん、おみやげのCDをありがとうございました。大切にします。

これはまあスペシャルCDで、私が録音したね。ヒコヒコスタート以前のチャートなどのCDですが。
私にも、いい青春時代があったんだな…ってこと、聞きながら思い、嬉しくなりました。

~Will you love me tomorrow/Bryan Ferry ~
むこうでは、これはポピュラーソングの代表曲でありますから、誰でもが歌ってるんですけど、こないだニューヨークかなんかのテレビ中継があってですね、ニューヨークでこういう飲み屋が流行ってるというのを早朝の中継でやってましたけど、その時にライヴハウスみたいなところでですね、そこで歌手と言うか素人に毛のはえたような売れない歌手の方がですね、この曲を歌ってましたわ。明るく歌ってましたけど、゛売れるかどうかわからない。夢を持っているけど今は惨めな状態でいる゛そういう歌手志望の人がこの曲を歌うとね、歌詞的にはジンときて、僕は好きですね。それを明るく歌うとなんかね…きますわ。だから、長くPOPSやってて良かったと思うのは、その歌の持ってる魂の部分ってのを知ってるわけで。そうすると、ただ単にテレビ中継の場面の曲ですらジンとこれるというのは、随分同じように生きてきて得をするなぁという感じがするわけです。

【ハーツ】
13日の放送のヒコヒコは、ジーンとしたり、ふんわりした気分で聞きました。たくさん懐かしい曲がかかったもんだから。スターシップ、コリー・ハート、極めつけはシカゴ。私が高校時代聞いていたヒコヒコで、よくかかっていた曲ばかりでした。ヒコヒコだからこんな気持ちになるんでしょうか?きっとそうなんだろうなぁ。いい曲を聞いた日の旦那様の弁当は、美味しそうに作れるんです。それじゃあ、また。

【老いぼれ犬】
今日は風が強いです。窓がガタガタ震えて、家が揺れているような気がします。ベランダでタバコを吸いましたが、寒くて味も何もわかりませんでした。こんな寒い日には、昔サッカーをやっていた頃に痛めた腰や足首が痛みます。冬は大好きなんですが。

【イーストきん。】
1月3日のパーティーが終わって、はや3週間。放送も、あと10回ですかね。
そうやって考えたら、そうなるの?。
パーティー、本当に楽しかったです。参加総数は子供さんを含めるとゆうに百人。僕は10周年パーティーを知らない世代なんで、あんなにリスナーが一堂に会するのは初めてでビックリしました。幹事をやっていてなんですけど、「よう集まったわ、こんだけ…」というのが正直な感想。そして、これだけのたくさんの皆さんと出会うきっかけを与えてくれたヒコヒコと和彦さんに感謝。おしゃべりもあり、泣かせる歌もあり、本当に泣かせてくれたスピーチあり、本当にあの3時間は一生の思い出です。仕切りのあまりよろしくなかった幹事に、たくさん協力をしてくれたリスナーの皆さんとヒコヒコタイムにありがとう。当日の写真、こちらからは発送し終わりました。

【オーツカシンヤ】
先日、シャチハタを無くしたので、文房具屋さんで新しいものを買ったら、ボールペンをもらいました。数日後、駅前の本屋さんでハヤカワエピ文庫を何冊か買ったら、またまたボールペンをもらいました。ワールドカップのチケットのプレゼントは、まだ当たりません。
僕はあれですよ、学研のM文庫の図書券もらったよ。(笑)そんな個人的に子供みたいに威張ってどうするんだという。

【さばいばるくらぶ】
ひさしぶり。
大変大変ご無沙汰しております。お元気でしょうか?あまり長くお休みをしてしまったので、またカードを書くのは20年前の初めてのカードを書きときくらい勇気がいります。先週、私のテーマ曲をかけてくださって、とても嬉しかったです。
カルチャークラブね。
それで、今また思い切ってカードを書いています。ありがとうございました。今、外は粉雪が舞っています。和彦さんは、今でも一番のお誕生日は30歳の吉田拓郎のコンサートでしょうか?その時も雪だったですよね。
そうそう。あんなふうに、まぁ1月生まれですから雪に遭うというのは可能性はあるわけですけど、そういえば30の誕生日の時だけですね。雪に遭って、その雪を踏みしめて歩いたのもね。あの時の向上心はどうしちゃったんだろうなぁ?あれから18年ですからねぇ…18年何をやって…まぁこの番組やってましたが、何ら向上できなかったような気がしております。
遅れましたが、お誕生日おめでとうございます。年男なんですね。

~心はいつもヴァレンタイン/Nils Lofgren (さばいばるくらぶ)~
この歌の歌詞の好きなところはね、「君はいつもそばにいてくれて、そして君は僕の事を”let me down”させることがない」だから、嫌な事を言ったりとか落ち込ませる事がない。最高の友達、あるいは恋人を得たという感じの歌なんですね。なんか、恋とか愛とか友情とか、必ず”let me down”することがあるじゃないですか。そうすると、そういう人間関係は、もしかしてベストじゃないのかなぁ、違うのかなぁと思うことがあるんですけど、こういう歌を聞くと…”let me down”をしても、させないような友達や恋人がいれば、最高かなぁ。それは、理想過ぎるかなぁ、夢かなぁ…なんてことを思ってしまいます。

本当だ、「あと~回ですね」って書いてあったから、そう思えば2月はヒコヒコタイムは4回しかないんですよね。まあ、3月31日までの放送ということになります。3月31日は、ちょっと長めに生放送しようかなと思ってるんですけど、まぁ2月くらいからですね、ジワジワヒコヒコタイムに纏わる皆さんをゲストに迎えてエンディングの二月にしたいと思っております。リクエストのハガキ・メールはあなたの権利です。DJ、田中和彦でした。ほいじゃあ。


~ポップコーン~END

1月27日チャート
20 恋の火遊び/Solid Base (New)
19 The rainbow children/Prince (New)
18 Girl friend/Alicia Keys (20)
17 Isn't this the world/Joe (19)
16 We will rock you/Keiko Lee (18)
15 There she goes/Babyface (11)
14 Ever green/Westlife (17)
13 Pacific coast party/Smash Mouth (13)
12 Tu amor/Kaci (10)
11 追憶のミュージック/Cher (15)
10 Dig in/Lenny Kravitz (8)
9 Would you be happier?/The Corrs (12)
8 Go on/N'sync (9)
7 Drawing/Backstreet Boys (5)
6 I want love/Elton John (7)
5 One night stand/Mis‐Teeq (6)
4 Love of my life/Bryan McKnight (4)
3 All I want is you/Bellefire (2)
2 Sweet baby/Macy Gray (3)
1 Hero/Enrique Iglesias (4weeks)